つぶやき

瞑想?迷走? 眺添う

こんにちは。暑いですね。

お盆はどこにも行かず、いや暑さとコロナでどこにも行けず自宅でゆっくりとした時間を過ごしています。

時間がある時に瞑想をしたりするのですが、その瞑想を通して最近感じたことを書こうと思います。

瞑想をする方も多くいらっしゃると思いますが、どのような時間を過ごしていますか? 瞑想の方法にも色々ありますよね。

私は瞑想法を特別に学んだわけではなく、一般的な知識で瞑想をしていましたが、瞑想しながら迷走している事がよくありました。(笑)

思考が止まらなくて瞑想中、ずっと頭の中はグルグルだったり、時には眠気でウトウトしたり、時間との我慢比べになったりしたこともありました。

呼吸を数えたり、気づきに触れたりする瞑想法を参考にしたりもしますが、それはそれで窮屈な瞑想の時間になったりしていました。

 

先日、ふと思ったのですが瞑想をしている時って、クライエントと向き合っている時と同じことを自分に対してすればいいんだと気付いたんです。

私はクライエントさんと向き合っている時は、クライエントさんをコントロールせず、ただその人の在りようを受け止めていきます。クライエントさんの中で起こっている様々な感情や変化を美しい夕日を眺めているように見守って一緒にいます。

瞑想のしている時は自分の状態をクライエントさんと向き合っているのと同じように、ありのままを眺めてコントロールせず、その状態に気づきただ共にいればいいと思ったのです。

思考がグルグルしている時には、それに気づいて眺めてあげる。変えようとしない。コントロールしない。ただ起こっている内側の感覚や感情に気づきそのまま眺めてあげる。

外側で起こっている音や匂いや刺激にも気づき、その気づきと共にいる。

そうすると次第に内側で起こっている事も、外側で起こっている事も大して変わりは無く、内側と外側の違いが無くなり一つの世界を眺めているような気がしてきます。

そして、感覚がただ気づきの意識だけになっていくように思います。

内側と外側、その境が無くなり『今』起こっている、『今』そのものの空間に居続けることが出来るようになります。

 

この感覚はとても面白く開放的で全てが溶け合っている心地よさを感じるのです。

そして、自分と言われる個人の中で起こっている事も、外側と同様にコントロール出来ない出来事で宇宙(自然)の一部だという事が腑に落ちてきます。

クライエントと向き合う、自分と向き合う、これは同じことで私はそのどちらでも無く、気づきの意識でしかないと瞑想を通して、また深まっていくように感じるのです。

今度また迷走した時は、それに気づき迷走を楽しんで眺めてみようと思います(笑)

 

★★★お知らせ★★★

個人セッションやワークショップを行っています。

自己探究に興味がある方、

それから私は最近、子供を虐待してしまう加害者側のお母さんに心が揺れます。

子供を愛したいのに上手く愛せないお母さん。

一人で苦しまず「個」の自分の痛みを癒してあげて下さいね。

詳しくはこちらまで

Zoomでもセッションを行なっています。

http://infinity-sp.com/

 

 

 

枠を設定した分離の世界

こんにちは。梅雨が明けた途端に暑いですね〜。

天気予報で37℃の予報が普通に出ていて、ひと昔前なら35℃でも猛烈な暑さと言っていたのに、数字に慣らされたのか異常気象に慣らされたのか、年々暑さが増していくように思います。

先日、ノンデュアル仲間の友人からある本の一節をシェアして貰いました。

そこに書かれていることがとても腑に落ちて、私の今までスッキリしなくて漠然としていたことが、「ああそうか…」と思わしてくれる内容でした。

その内容とは…    以下、一節より抜粋

—-『生』とは意識の焦点あり、今経験していることに注意の意識の焦点が当たっているのです。今見ている、聞いている、触れている、感じていることが焦点です。この焦点があるのは実際に分離した私があるからだと思い込むことで苦しみが生まれるのです。それは悪いことでも間違ったことでもなく、ただ枠を設定しているだけなのです。—-  (一部省略)

と言うことが書かれていました。

日々私たちは、五感で焦点を当てて自分が体験している事を確認をしています。

そして、私たちは焦点を当てたことに枠を設定して、それを『私』と呼んで外の世界と私の世界を分離させていたのですね。

本来、私たちは意識であり、意識の世界は一つしかありませんが、意識とは気づきであり、気づきが焦点を当て『私個人の世界』の枠を作り出していたんだなぁと枠の概念に納得しました。だから、肉体がある限り焦点は当たり続け、枠はあり続けるのだと思います。

唯一できるのは、枠が強固な枠なのか、半透明なまで薄らいでいくのかと言うこと。

それでも焦点を当て何かを確認する限り私の世界は消えないと言うことです。

でも、そのベースとなるものは一つで『気づきの意識』なんですよね。

この一節をシェアして貰って、ドラマの世界と気づき意識の世界が今更一つになった次第です。

なので、枠の中でドラマに巻き込まれている私も、気づきの意識の中に作られた枠の世界に居て、結局は一つでしかなかったと言うことです。

今まで『気づきの意識の世界』と『ドラマの世界』の二つの世界を私は繋げて理解することが出来ず、非二元は理解できないものだと諦めていたのですが、この一節のおかげで新たな理解に進みました。

肉体がある限りドラマは生まれる事は、今まで私が言っていた事と同じだけれど、枠の概念ができただけで「なるほど〜」になりました。

その一節をシェアしてくれた友人に感謝です。

★★★お知らせ★★★

ありのままの自分に気づく個人セッションやワークショップを行っています。

個人セッションはZoomでも受け付けています。

自己探究に興味がある方、

それから私は最近、子供を虐待してしまう加害者側のお母さんに心が揺れます。

子供を愛したいのに上手く愛せないお母さん。

一人で苦しまず「個」の自分の痛みを癒してあげて下さいね。

詳しくはこちらまで

http://infinity-sp.com/

嵐の中の不安

昨日ブログで嵐の中の気づきを書いてみたけど、内側に留まっていると、新たな言葉が出てきたので続きを書いてみました。少しずつ嵐の空が明るくなってきたようです。

不安は一杯いっぱいある。

その先を考えるとネガティブなストーリーしか考えれないから、それを回避する方法も考える。

でも方法が見つからなくて不安は更に膨らんでくる。

こうなっちゃうかもしれない。あーなっちゃうかもしれない。今より悪い状況になるだろうな。

そんな思考がどれだけ駆け巡ってくるか。

分かる分かる。分かるよ。

先は見えなくて不安だもんね。

自分の心に声をかけてみる。

今が大きく変化するときは、知っていた環境が破壊されるから自分の安全枠が壊れていくので、危険にさらされる不安や恐怖しかない。

少なくともそんなふうに感じてしまう。

そんな自分を理解してあげる。ただそこと一緒にいる。解決策は見つけずにね。

そうすると、ふと思うのです。

私はネガティブストーリーだけを見てるなぁってね。そのネガティブストーリーってどこから来たのかな?

誰かからの教え? 過去の経験? 一般常識?

ストーリーはネガティブもポジティブも見ることは出来るのに、私のお得意はネガティブストーリーばかりな事に気づきます。

先の想像は幾ら考えたって分からない。

想像で分かる対処なら既にやってるはず。

それなのに私の思考はネガティブストーリーの問題解決に必死になってる。

だけど、実はネガティブストーリーと同じだけポジティブストーリーも未来にはあるんですよね。

今、嵐の中にいるってことは今までの状態から次に進むプロセスが起こっているってこと。 

その先はポジティブストーリーだって十分にある事に気づいてみる。

宇宙の流れがこのプロセスを作っているなら、それを信頼してみる。

今までの知識で考えれることは、今までやってきた知ってる世界。だけど、これから始まる世界は今までの知識では想像もできない自分の心地良いストーリーがあるかも知れない。

本当に大切なのは嵐の中のこの瞬間、ポジティブストーリーがあるとしたらどんな気持ちになるのかに気づいてあげること。

知っている過去の蓄積の思考の世界に留まらず、まだ想像すら出来ないポジティブストーリーもあることを自分に教えてあげる。視点は嵐ではなく自分といる事。

宇宙は個人の想像を超えていることを信頼して嵐の中で深呼吸をしてみる私です。

「不安だよね。でも大丈夫だよ。全ては予定通り上手くいってる」ってね。

★★★お知らせ★★★

ありのままの自分に気づく個人セッションやワークショップを行っています。

個人セッションはZoomでも受け付けています。

自己探究に興味がある方、

それから私は最近、子供を虐待してしまう加害者側のお母さんに心が揺れます。

子供を愛したいのに上手く愛せないお母さん。

一人で苦しまず「個」の自分の痛みを癒してあげて下さいね。

詳しくはこちらまで

http://infinity-sp.com/

嵐の中から出るには

こんにちは。

最近、新型コロナ感染も拡大し始め、そして大雨による自然災害が起こり心痛む出来事が頻発しています。

お亡くなりになられた方のご冥福をお祈りすると共に、被災された方の生活が一日でも早く回復することをお祈りしています。

さて、世界中で色んな事が起こり騒つく日々の中、私個人の生活でも変化があり、その事で私の心の中は騒つき、落ち込み、辛さ、不安感、自己否定感、色んなネガティブなエネルギーに巻き込まれていました。

それらは「幻想」なんだとか「ドラマ」なんだとか言い聞かせたところで全く効果は無く、心はネガティブな「ドラマ+波動」に巻き込まれて、私自身「非二元だとか言ってるクセに全く分かってないじゃないかぁー!」と自分をまた非難して、ドラマの世界と精神世界の間を行ったり来たり…。

心が壊れそうな感じ、誰かに声を掛けられたら涙が止まらなくなる不安定さ、そんな日々が続き、私はこの嵐から抜け出す方法ばかり考えていたのです。

それが先日ふと禅の僧侶の言葉「自分の内側に静かに向き合いなさい」と言う一言が目に飛び込み、見えていなかった視点が見えてきたのです。

嵐の中で傘をさしたり、避難場所を見つけようとしたり抜け出す方法を探しても、外側に安心の場所は見つからない。

静かに自分の内側を見つめる事で安心が訪れる。

安心の中で自分に起こっていることにただ気づき、優しく触れて、ありのままのエネルギーを受け止めてあげると外側の嵐を眺める事が出来ると言う視点に変化したのです。

いつも自分と向き合うことや、自分の感情を大切にすることをやっているけど、何処かで自ら解決することをやろうとしていたのだと我に戻された感じです。

苦しみを解決するために、自分個人の視点でしか見えなくなり、今いる嵐の中で最善の方法を考えて、自ら動き改善を求めていく事ばかり思考していたんだなぁーと。

それが嵐の中で内側を静かに見ることを始めると、出来事が向こうからぶつかってくると言う視点に変わってきました。

実際に事象として、面白いぐらいに毎日そんな出来事にぶつかり始めたのです。一般的に云うシンクロニシティーと言うのでしょうか。

その出来事のお陰で心が救われ避難場所を見つける事が出来たり、今は嵐の様子が変わってきたりしています。

何かをしようとしなくてもいい。

何もしなくても、出来事が向こうからぶつかってくる。

私はその時に起こる内側のエネルギーに静かに触れ、受け入れ、ただそこにいる。

気付きの意識がネガティブな波動にフォーカスしているのか、ポジティブな波動にフォーカスしているのかも気付いていく。

どちらにフォーカスしていてもいいのです。

それが今、起こっている事だから。

それ自体が宇宙の流れなんだと受け入れていく。

そうして「今」にいると、自分をサポートする力が内側から湧き上がり、そして嵐の中から自分をサポートするような出来事が自分にぶつかってきます。

これが次のステップとして宇宙が表現したい事なんだろうという視点に変化してきました。

だから、嵐の中にいる時、そこから抜け出すための思考を働かすよりも、自分の内側だけに触れてそこにいればいいのです。

全ては宇宙の全体性の流れとして、起きていることだと安心していればいいのだと思うのです。

結局は『あるがままに、今にいる』という言葉に落ち着きます。(笑)

そして、私はこの体験を通して更に宇宙を信頼し、全てが宇宙の流れの一つなのだという事が深まってきたように思います。

内側に静かに触れていればいいんだと

★★★お知らせ★★★

ありのままの自分に気づく個人セッションやワークショップを行っています。

個人セッションはZoomでも受け付けています。

自己探究に興味がある方、

それから私は最近、子供を虐待してしまう加害者側のお母さんに心が揺れます。

子供を愛したいのに上手く愛せないお母さん。

一人で苦しまず「個」の自分の痛みを癒してあげて下さいね。

詳しくはこちらまで

http://infinity-sp.com/

「ドラマ」と「気づき」の世界のバランス

こんにちは。梅雨に入りましたね。

今日は梅雨らしいシトシト雨が朝から降っていて、自宅で雨の音を聞きながらゆったりと過ごしてます。

コロナ自粛解除後、生活が動き出し外出したり人に会ったり、仕事も加速したりと慌ただしくなり自分自身の意識も外側を向いていることが多くなってきました。

そうすると、また『個人の自分』と云うドラマに占領されている事に気づきます。

様々な感情が上がってきて気持ちが揺さぶられ、在りもしない「私」の枠組みでどうにかしようとしている事に気づきます。

そんな時、今日のように静かに一人でいる時間をとって、自分とゆっくりと触れ合っていきます。

 

起こっている感情を排除せずに感情に触れていく。

そして、その感情の渦を抱えて我慢している自分に気づき、その個の自分を労ってあげる。

優しく自分を認めてあげると個の自分にスペースが出来てくるように感じます。

 

自分に優しく接して、起こることに任せていく。

委ねていく。空け渡していく。

そうすると、それがただ起こってるだけなのだと気づくことが出来ます。

宇宙に委ねてそこにいる事が出来るようになります。

 

身体があれば体験があり記憶があり、思考が起こり感情が生まれ感情のエネルギーに揺れ動くのは当たり前の事で無くなりはしません。

もし、これが揺らぎもせず不動である方が不自然になります。

いつも全ては揺れ動いていて、揺れながらバランスを取っているのが自然の摂理なんだと思います。

舟が波に揺られて左右に揺れながらバランスを取っていくように、宇宙は左右に揺れながらバランスを取っているのだと思うのです。

 

だから揺れたら自分にゆっくり触れる時間を作り、自分に優しく触れて起こるに任せていく。

 

委ねる時間を取る事でドラマの世界から気づきの今在るありのままの世界に戻ることができます。

そうする事で両方をバランスを持って生きていけるように思います。

 

★★★お知らせ★★★

ありのままの自分に気づく個人セッションやワークショップを行っています。

個人セッションはZoomでも受け付けています。

自己探究に興味がある方、

それから私は最近、子供を虐待してしまう加害者側のお母さんに心が揺れます。

子供を愛したいのに上手く愛せないお母さん。

一人で苦しまず「個」の自分の痛みを癒してあげて下さいね。

詳しくはこちらまで

http://infinity-sp.com/

 

 

 

 

 

コントロール出来ない感情

こんにちは。私のブログにようこそ。

最近、自分という存在はただ宇宙の流れが作り出した一つの現れで、思考も感情も同じようにただの現れで、それらを体験して気付いていく意識があるだけなのだと自分の理解が深まってきています。

そして、この肉体の記憶が傷(恐れ)を作り、それが投影してドラマを作り出していると理解してきています。

この理解は私のプロセスの中での理解なので皆さんと異なっているかも知れませんが…。

この頃、気づきの意識が本来の在りようなのだと分かりながらも、無性に私の個人的感情が騒ついて孤独感や自己否定感が湧き上がってきます。

その起こってきた感情は昔作った古傷が投影されて、そのような感情を生み出す思考がドラマを作っているのですが、それに気付きながらも、この感情は治まらないのです。

 

今私は、それを止める事もWhy?と追及することもせず、その心地悪さと一緒にいるようにしています。

ともすると、その感情に巻き込まれそうになったりする中、時々、溺れて水から顔を出して息が出来るような感じで、その感情と気づきの距離が保たれ安心してその感情を眺めることが出来ていたりして、揺れ動きながら、この身体の中にある孤独感と一緒にいます。

不思議なものですね、個人の概念を見破り、自分という個人はおらず意識だけが今あるものを体験していると分かりながらも、個人の概念の孤独感や疎外感はもの凄い勢いで今に襲いかかってくるのです。

自我が消失されることへの抵抗なんでしょうか。自我は「私は…」と主張してきますが、その在りようもコントロールせずに起こるに任せる時間を過ごしています。

ドラマを作り出している私と気づきの意識である私は本当にピッタリとくっつき合ったコインの裏表であり、体験しているこの時間はコインを立ててクルクルと回っている状態で一つの世界を作り上げているように思えます。

ようは、泥臭く落ち込んだり悩んだりするのも今あるがままでコントロール出来ないって事。

むやみにコントロールして、どうにかしようとせずにそれも今ある自然な事だと諦めて受け入れる事が今を生きることなんでしょうね。

今のあなたは悩んでいても、苦しんでいても、それはただ昔の古傷がそのように見せているだけだから、抵抗せずにその痛みのあるご自分の感覚と一緒にいてあげて欲しいなと伝えたくなりました。

それが、古傷を持った個の自分を癒してあげる事になるんですよね。癒しが統合へと進みドラマを作る投影は形を変えていくのだと思います。

 

★★★お知らせ★★★

個人セッションを対面やZoomで行っています。

今ある感覚に触れていくことを一緒にやっていきましょう。

また、ワークショップを開催しています。

詳しくはHPをご覧下さいね。

http://infinity-sp.com/

 

 

「夢」から覚めて『今』にいる

こんにちは。

新型コロナウイルスもそろそろ終息し少しずつですが、以前と違うながらも日常生活を取り戻せそうな兆しが見えてきましたね。

この変化の時に新たな活動を見つけたり、新たな自分の変化に触れたりしている人が多いようです。

私もこの約二ヶ月、不思議と気づきが深まり変化を感じており、自己探究として答えを求めていた非二元的思考も私なりに腑に落ちるところに来ているように思います。

それは、非二元を素晴らしい世界で憧れの世界として捉えていたけど、実はそれはとてもシンプルでタネを明かせば夢から覚める程度の事だったって事です。

夢から覚めるって言うのは、何かを理解すれば非二元の世界に達するのでは無く、私たちは常に非二元の「あるだけ」の中にいて、思考がドラマを作り上げて「夢」を見ていたって事です。

夢から覚めて、そんなことに気づいています。

夢から覚めてみると残るのは体験者と気づきだけでした。私個人もおらず、私の周りの環境もただそのように在るだけで、時間の概念もなく、宇宙のエネルギーの現れがそこに立ち上がっているだけ、それを五感で気づいていく。ここにあるのは体験者と気づきの意識だけだと分かります。

全てが「ただ在る」今、思考も感情も音も風も心地良さも心地悪さも悲しみも悔しみも痛みも感触も見えているものも、全部が自然に起こっているんだなぁと思います。

私の身体も自然の一つで気づきに意識を向けると、この身体も宇宙を作る全体の一つなのだと感じます。

そして、そんなシンプルさに止まることができず、様々なドラマを作り複雑化しているのは、この身体には生物学的に「記憶する」と云う機能が備わっているからです。

この記憶が二元の世界を作り出すのです。

生物学上、この肉体には身体を守るための防衛本能や他者よりも優位になって生き残ろうとする闘争本能があります。

だから非二元の世界にいながら、私たちの身体の中では記憶が二元の世界を作り出しているのです。

これがドラマです。

そして、これすらも自然に起こっている「あるがまま」なのだと思います。

だからどちらの世界も在る。人間として肉体を持って体験している限り、どちらかに一方になるのは無理なんだと思うのです。

人間としての二元の世界も「在る」世界。

そして、それは全て在っていいと云う非二元の中に抱腹された二元の世界。

ここでパラドックスは起こっていきます。

まぁ、なんとなく分かってきたのは、全部今まで通りこのままであっていいって事。

そして安心してここに居るってこと。

思うのは、この身体の感覚が心地良いとか面白そうとか、楽しいとかを感じれることをただ楽しんでやっていく。

もちろん、嫌なこと、辛いと思うこと、腹立たしいこともお天気のように自然と湧き上がりますが、それも自然に湧き上がってくるドラマだと見抜いて、ドラマの世界を味わっていくことで、それを受け入れていくこと。これが自然でいる事なんだと思います。

目の前の人間的な二元をただ楽しんでいく。それが非二元のありのままの世界にいる事なんだと思うのです。

だから起こっている感情は怖がらずに受け止めていい。

目の前の出来事は、宇宙の自然な流れでただ起こっているから否定しなくていい。

もし今、不安な気持ちが湧き上がっていたら、それを感じながらも全て宇宙の自然の一部だから安心していていい。と伝えたいと思ったのです。

Don’t think, Don’t judge, Not control

こんにちは。私のブログにようこそ。

 

新型コロナウイルスで外出自粛の中、GWに突入しましたね。こんな年に限ってGWはとてもお天気が良く初夏のような陽気です。

コロナ影響で生活に与えるダメージや自粛生活で思う事は人それぞれあると思いますが、それは多くの人がテーマにしていることなので今日は、私はその事に触れず自分の今に起こっている事を呟いてみたいと思います。

 

今年の年明け早々1/2に遡るのですが、ふと湧いてきた言葉が

『Don’t think , Don’t judge, Not control(考えない、ジャッジしない、コントロールしない)』と云う言葉でした。

その時はそれなりに「ああ…そうか」と思い、自分なりにそれを意識して、『考えない、人をジャッジ(評価)しない、人をコントロールしない』という事を意識して生活を始めてみました。

無意識に人を批判してコメントをしていたり、人をコントロールしたりしている自分に気付く事もあり、それらの言葉は生活をするのに大切な言葉として私の中にありました。

しかし、それを続けているうちに自分が自分をジャッジしたりコントロールしている事に気付いたのです。「あっ、また人のことをジャッジした。駄目だめジャッジしては…」みたいに。

これって、自分の事を考えたり、ジャッジしたり、コントロールしてないか?  あれれ…?

『考えない、ジャッジしない、コントロールしない』の言葉は他人だけでは無く私に対してもそうだったのではないかと思い始めたのです。

そうすると、ややこしくなるのが他人をジャッジしている自分をジャッジせずコントロールしないって事??  う〜ん、、ジャッジしている自分を責めずにそのままにしておくって事??

そのままジャッジする私でもいいワケ??

 

またまた合わせ鏡のようにグルグル思考に入り込んで、結局は元に戻ってしまうような状態に陥ったのです。

非二元的な在り方を思考で理解しようとすると、そんなことがいつも起こり、結局答えのないグルグル思考で理解出来ずに終わってしまうのです。

私のエゴは「理解したい、答えを突き止めたい」と自分の到達点を見つけようとしていたのです。

 

そんな時、ふと、そのグルグル巻きの思考から抜け出す事ができました。

それは『考えもせず、ジャッジもせず、コントロールもせず、そうなっている事にただ気付く事』気付きの視点を持つだけだと云う答えの糸口が見つかったのです。

なんて簡単な事なんでしょうか。

 

他人も自分も誰も何もかも、批判もコントロールもせずにただそうなっている在りように気付くだけで良かったのだと自然と腑に落ちたのです。

人を批判する思考が湧き起こればそれに気づき、悲しみが湧き起こればそれに気づき、風の音が聞こえてばそれに気づき、怒りの感情が湧けばそれに気づき、それらは自分でコントロールするのではなく、ただ自然に起こっていることを気づくだけ、それ以外何も無いと思えたのです。

 

「ただ起こっている事に気づく」と云う言葉は本で何度も読んでいましたが、自分の内側から答えが見えてくると思考とは違う理解ができ、その事だったんだーと体験から言葉を意味を知ること事が出来ました。

今年の初めに降ってきた言葉は4ヶ月の時間を経て、やっと一つの体験を与えてくれたように思います。

 

『Don’t think , Don’t judge, Not control』

自分にただ気づいていくだけでいい…。

 

★★★お知らせ★★★

インフィニティーではワークショップや個人カウンセリングを行なっております。

こんなご時世なので、オンラインで個人セッションをしております。

残念ながら、ワークショップは最近開催予定は5月末まで中止となりました。

 

今までと生活が変わり、様々なストレスを抱えていらっしゃると思います。不安になったり、自分を責めたり、どうしていいか分からなくなったりする事もあると思います。そんな時はご連絡下さい。

あなたはあなたのままで十分に今を安全に生きる事ができる力を持っているのですから、それを一緒に探しましょう。

ご連絡はインフィニティーHPより下さい。

http://infinity-sp.com/

 

 

新型コロナウイルスで謙虚になること

こんにちは。

私のプログにようこそ。

日ごとにCOVID-19(新型コロナウイルス)の感染が拡大し日本も欧米のように外出規制が厳しくなってきましたね。

自宅にいるように、人との距離を保つように、集団では集まらないように、と。

私の仕事もテレワークになり自宅でゆっくりと仕事をしていますし、週末のワークショップなどの予定も全て中止となりスケジュールが白紙の状態になっていて、私としてはこんなに予定が無いことなど経験した事が無く、とてもゆったりとした気持ちで生活しています。

「自粛」と言われているのを「自祝」と書かれている方がいらっしゃり、なんとなく私の気持ちとしては自祝がしっくりしている感じがします。

感染された方や亡くなられた方がいらっしゃることを思うと大変に不適切な言葉ですが。。

 

でも、このような状態になったからこそ、立ち止まり考えさせられる事が沢山あります。

今までは忙しさのあまり外側ばかりに焦点を当てて生活していた時間が、今は自分の内側に焦点を当てるゆとりがあり時間の流れが変わりました。

人との社会的距離を取るように物理的に言われていますが、これも人と近づきすぎず依存せず自分個人の自律性をみる事ができる時間だと思います。

そして、何よりこの状況への『恐れ』は人それぞれに異なって浮き上がってきています。

お金の恐れ、感染の恐れ、生命に対する恐れ、愛する人を失うかもしれない恐れ、仕事が無くなる恐れ、未来への想像は個人ごとに違った恐れを色濃くしていき、報道は毎日どのように乗り切るのかを蹇々諤々と伝えています。

これらを観ていて、私は宇宙の流れに対して抵抗しているように感じます。

この問題の対策を評価したり、日々の行動をコメントしたりして、起こっている事について意見を言うのはとても古い殻の中に入っているようで、私はもう終わりにする時代が来ているように思うのです。

宇宙は私たちに何かを教えてくれていて、それを抵抗せず起こる事を受け入れて、それを受け取っている自分は今は何を感じているのか。

ただ、自分の内側で起こっていることを観察して宇宙の流れと共にいる事が大切なように思います。

 

そして、今自分がする事をする。

想像の世界の恐怖に巻き込まれない。

愛する人たちを守るために不必要な外出はしない。

マスクや手洗いなどを丁寧にする。

この自然の流れと共にいる。

 

それをただ行なっていく先に何か変化があるような気がします。

実質的な行動の変化はすでに起こっているし、新しい事も始まっています。

それ以上に社会の意識変化もあるように思うし、個人の意識変化も起こるように思います。

それは宇宙が今起こるべくして起こる、必要なことが起こるのだろうと見守っている感じです。

 

今起こっていることを謙虚に受け止め、そんな変化のスタートを見ている私がいます。

そして、皆様どうか安全に健康にお過ごし下さいね。一人ひとりお互いに思いやる気持ちが感染拡大を防いでいくように思います。

 

★★★セッションのお知らせ★★★

インフィニティーでは、自粛要請期間のフリートークルームはオンラインで行なっております。

ご希望の方はこちらからお申し込み下さい。

http://infinity-sp.com/freetalk.html

 

 

 

 

 

 

 

 

 

スエットロッジの祈り

こんにちはー。私のブログにお越しくださりありがとうございます。

とても久しぶりのアップです。

先日、ネイティブインディアンの儀式の一つのスエットロッジに入ってきました。

今は自粛ムードでそんなイベントに参加しても良いのかと言われそうですが、山奥に籠もって感染拡大には注意を払いながら進めると言うことで参加してきました。

スエットロッジとは、「汗の小屋」と言われるもので小さなドームの中に参加者12名ぐらいが入り、その中に真っ赤に熱した石を全部で30個以上入れて水を掛けスチームサウナのような状態にしていきます。その中に夜中11時頃から明け方4時まで入っています。

真っ暗闇で異常な暑さの中が、身体と心と魂の浄化をし、祈りを捧げる場所になります。そして、この小屋は子宮にも例えられ「生まれ変わりの儀式」とも言われます。

 

私はスエットに入ったのは今回で2回目ですが、スエットから出た後の気持ちの清々しさや素直な自分に返っている感じ、そしてふと自分の内側から湧き起こるメッセージを受け取ったりする事があり、本当に身体と心と魂の浄化がある感じで好きな儀式なんです。

今回、スエットから出て一眠りした後に受け取ったメッセージがあります。

 

それは、「どんな環境も一緒。そこにどんな自分でいるかが大切」って言葉です。

 

私はスエットに入った時に祈りを捧げてました。

「私の行くべき方向を示して下さい」と。

決して今の環境は嫌ではないけれど、もっと仕事も違うことが出来るのではないか。もっと自分に合った何かを見つけれるのではないかと、今後の展開に期待や変化を求めていたのです。

 

そして、その答えが翌朝のメッセージだったのです。

とても、腑に落ちて納得してしまいました。

 

どんな環境にいても、私自身が自分と繋がっていなければ同じなんだと言われのです。

反対を言えば私が私自身であれば、どんな状況や場所や環境でもいいことで、その状況はいつも自然な宇宙の流れの中にいると言われたように思います。

 

何かを求めるのではなくて、今あるこの状況に自分の素直な感覚で受け止めていく。そこに触れている自分の感覚を感じて生きていく。

そんな事を受け取った今回のスエットロッジでした。

私の祈りが通じたのでしょうか。(笑)

どんどんシンプルになっていく感じがしています。