0年 0月 の投稿一覧

凡人の非二元の探求の始まり

こんにちは。

ブログを読んで頂きありがとうございます。

このブログは自分が辿っている非二元のストーリーや心理学を使って理解する自分個人の内側の感覚などをつらつらと綴っているブログです。

非二元と心理学 …、近いような遠いような、不思議な関係です。

私は心理やセラピーを学んできたのですが、3~4年前に「非二元」や「目覚め」さ「悟り」と言うものに興味を持ち出し、その領域を理解したくて学びが始まりました。

それはなぜかと言うと、心理学で幾つかのセラピーを通して自分を見ていたけれど傷はいつまでも癒えず、過去の体験や自分が握りしめている傷や両親との関係を何度ワークをしても終わらなく、セラピー自体に限界があるように感じたからです。

その後、宗教や思想的な本も読みましたが、答えは見つからず、人間のドラマを超えたところに癒しがあるのではないか。と思えたのです。

 

それは魂の癒しではなく、「魂」と言う、その個別なものも超えたところに真理があり、心理学や宗教を超えた癒しがあると感じていたところに、非二元の話を知ったのです。

 

非二元や悟りの事を語っている人は多く、みなさんがご存知の方々がいらっしゃいます。

どの方も至高体験をして、そこから世界観が変わり多くのことに気づき語ってくれています。もしかしたら、悟りや非二元の理解は至高体験をしないと分からないのかも知れません。

私としても出来る事なら体験してみたいと言う興味はあります。(笑)

 

でも、もしかしたら「非二元のストーリー」や「悟り」や「目覚め」と言うものは至高体験をしていない人でも理解出来るのかも知れません。

(理解するものではないんですけど、感覚が掴むような感じ? 言葉では上手く説明が出来ないので  理解  としておきますね。)

 

誰でも気付ける領域なんだろうなぁと思い、至高体験もない私が心理学や宗教を超えた、そして個を超えた世界を覗き見ようとしている感じがしています。

このブログは、そんな凡人な私の気づきの体験を綴っているようなものになっています。

 

私は普通の会社員で企業で働き、週末はセラピストの活動や学びを行い、そしてそれらの実生活を非二元の視点を学びながら生きていく。

それが、実生活を送っている個人を癒す作業をしているように思います。

 

なんとなく、ふと 今日は自分の在り方を書きたくなりました。

また、ぼちぼちと凡人が辿っている 〈非二元の理解への道〉を綴っていきます。

多分、気付きは蛇行しながら深まったり腑に落ちたりしていくのでしょうね。

そんな私の独り言綴り、これからもよろしくお願いします。

 

 

 

 

中野真作さんのリトリートで変化する味わい方

こんにちは。

先日、また恒例の中野真作さんの東京開催リトリートに参加してきたので、その時の感じた事を書こうと思います。

 

この数回、連続して参加していて「いい加減参加もどうかなぁ」と思うところですが、やっぱり中野温泉のエネルギーに浸かりたくて今回も参加してきました。(^^)

 

回数を重ねるごとに自分の理解が深まっているのか受け止め方が変わってきています。

今までは中野さんの言葉から目覚めるためのヒントを貰おうと言葉を拾って理解をしようとしていました。

でも、今回は中野さんの言葉を拾うのではなく、自分の内側に上がってくる感覚を味わって自分と一緒にいる感じがしていました。

中野さんの言葉に頼らず、自分の感覚への信頼が出来たきたように思います。

 

言葉を聞き流しながら、その場に起こる感覚や事象を味わい自分の身体から沸き起こる事を信頼する。それが今、必要な気づきだと安心している感じです。

 

そこに居ながら感じたのは、

この場で起こっている 〈出来事 〉や 〈考え方 〉や 〈在り方 〉の全てがそのままで在って良くて、良い思いも悪い思いも無くて、ただ存在している状態で、私のこの感覚すらも今ある状態の一部だと言うこと。

そして、その感覚が続いていく、それが今を作っている全ての構成要素なのだという事を深く味わっていたように思います。

 

「感情も考えも自分の内側にあるのではなく外側にあるもの。その事に気付いている」と中野さんが仰られたのを聴いて、その言葉を味わっていると私の感覚は何も無い感じになり、存在だけがある感じで自分の存在が『気づきの意識体』のように感じられました。そして、存在を許されている安心感を味わってました。

 

今まで何度も中野さんの同じ話を聞いてます。でも、言葉を追いかけなくなった時に、身体に沁みわたるように理解が深まり、自分の感覚と絡み合い今までとは違う安心感や理解の深さがあったように思います。

 

また一味違った中野さんのリトリート時間となりました。