0年 0月 の投稿一覧

瞑想?迷走? 眺添う

こんにちは。暑いですね。

お盆はどこにも行かず、いや暑さとコロナでどこにも行けず自宅でゆっくりとした時間を過ごしています。

時間がある時に瞑想をしたりするのですが、その瞑想を通して最近感じたことを書こうと思います。

瞑想をする方も多くいらっしゃると思いますが、どのような時間を過ごしていますか? 瞑想の方法にも色々ありますよね。

私は瞑想法を特別に学んだわけではなく、一般的な知識で瞑想をしていましたが、瞑想しながら迷走している事がよくありました。(笑)

思考が止まらなくて瞑想中、ずっと頭の中はグルグルだったり、時には眠気でウトウトしたり、時間との我慢比べになったりしたこともありました。

呼吸を数えたり、気づきに触れたりする瞑想法を参考にしたりもしますが、それはそれで窮屈な瞑想の時間になったりしていました。

 

先日、ふと思ったのですが瞑想をしている時って、クライエントと向き合っている時と同じことを自分に対してすればいいんだと気付いたんです。

私はクライエントさんと向き合っている時は、クライエントさんをコントロールせず、ただその人の在りようを受け止めていきます。クライエントさんの中で起こっている様々な感情や変化を美しい夕日を眺めているように見守って一緒にいます。

瞑想のしている時は自分の状態をクライエントさんと向き合っているのと同じように、ありのままを眺めてコントロールせず、その状態に気づきただ共にいればいいと思ったのです。

思考がグルグルしている時には、それに気づいて眺めてあげる。変えようとしない。コントロールしない。ただ起こっている内側の感覚や感情に気づきそのまま眺めてあげる。

外側で起こっている音や匂いや刺激にも気づき、その気づきと共にいる。

そうすると次第に内側で起こっている事も、外側で起こっている事も大して変わりは無く、内側と外側の違いが無くなり一つの世界を眺めているような気がしてきます。

そして、感覚がただ気づきの意識だけになっていくように思います。

内側と外側、その境が無くなり『今』起こっている、『今』そのものの空間に居続けることが出来るようになります。

 

この感覚はとても面白く開放的で全てが溶け合っている心地よさを感じるのです。

そして、自分と言われる個人の中で起こっている事も、外側と同様にコントロール出来ない出来事で宇宙(自然)の一部だという事が腑に落ちてきます。

クライエントと向き合う、自分と向き合う、これは同じことで私はそのどちらでも無く、気づきの意識でしかないと瞑想を通して、また深まっていくように感じるのです。

今度また迷走した時は、それに気づき迷走を楽しんで眺めてみようと思います(笑)

 

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それから私は最近、子供を虐待してしまう加害者側のお母さんに心が揺れます。

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一人で苦しまず「個」の自分の痛みを癒してあげて下さいね。

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枠を設定した分離の世界

こんにちは。梅雨が明けた途端に暑いですね〜。

天気予報で37℃の予報が普通に出ていて、ひと昔前なら35℃でも猛烈な暑さと言っていたのに、数字に慣らされたのか異常気象に慣らされたのか、年々暑さが増していくように思います。

先日、ノンデュアル仲間の友人からある本の一節をシェアして貰いました。

そこに書かれていることがとても腑に落ちて、私の今までスッキリしなくて漠然としていたことが、「ああそうか…」と思わしてくれる内容でした。

その内容とは…    以下、一節より抜粋

—-『生』とは意識の焦点あり、今経験していることに注意の意識の焦点が当たっているのです。今見ている、聞いている、触れている、感じていることが焦点です。この焦点があるのは実際に分離した私があるからだと思い込むことで苦しみが生まれるのです。それは悪いことでも間違ったことでもなく、ただ枠を設定しているだけなのです。—-  (一部省略)

と言うことが書かれていました。

日々私たちは、五感で焦点を当てて自分が体験している事を確認をしています。

そして、私たちは焦点を当てたことに枠を設定して、それを『私』と呼んで外の世界と私の世界を分離させていたのですね。

本来、私たちは意識であり、意識の世界は一つしかありませんが、意識とは気づきであり、気づきが焦点を当て『私個人の世界』の枠を作り出していたんだなぁと枠の概念に納得しました。だから、肉体がある限り焦点は当たり続け、枠はあり続けるのだと思います。

唯一できるのは、枠が強固な枠なのか、半透明なまで薄らいでいくのかと言うこと。

それでも焦点を当て何かを確認する限り私の世界は消えないと言うことです。

でも、そのベースとなるものは一つで『気づきの意識』なんですよね。

この一節をシェアして貰って、ドラマの世界と気づき意識の世界が今更一つになった次第です。

なので、枠の中でドラマに巻き込まれている私も、気づきの意識の中に作られた枠の世界に居て、結局は一つでしかなかったと言うことです。

今まで『気づきの意識の世界』と『ドラマの世界』の二つの世界を私は繋げて理解することが出来ず、非二元は理解できないものだと諦めていたのですが、この一節のおかげで新たな理解に進みました。

肉体がある限りドラマは生まれる事は、今まで私が言っていた事と同じだけれど、枠の概念ができただけで「なるほど〜」になりました。

その一節をシェアしてくれた友人に感謝です。

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