枠を設定した分離の世界


こんにちは。梅雨が明けた途端に暑いですね〜。

天気予報で37℃の予報が普通に出ていて、ひと昔前なら35℃でも猛烈な暑さと言っていたのに、数字に慣らされたのか異常気象に慣らされたのか、年々暑さが増していくように思います。

先日、ノンデュアル仲間の友人からある本の一節をシェアして貰いました。

そこに書かれていることがとても腑に落ちて、私の今までスッキリしなくて漠然としていたことが、「ああそうか…」と思わしてくれる内容でした。

その内容とは…    以下、一節より抜粋

—-『生』とは意識の焦点あり、今経験していることに注意の意識の焦点が当たっているのです。今見ている、聞いている、触れている、感じていることが焦点です。この焦点があるのは実際に分離した私があるからだと思い込むことで苦しみが生まれるのです。それは悪いことでも間違ったことでもなく、ただ枠を設定しているだけなのです。—-  (一部省略)

と言うことが書かれていました。

日々私たちは、五感で焦点を当てて自分が体験している事を確認をしています。

そして、私たちは焦点を当てたことに枠を設定して、それを『私』と呼んで外の世界と私の世界を分離させていたのですね。

本来、私たちは意識であり、意識の世界は一つしかありませんが、意識とは気づきであり、気づきが焦点を当て『私個人の世界』の枠を作り出していたんだなぁと枠の概念に納得しました。だから、肉体がある限り焦点は当たり続け、枠はあり続けるのだと思います。

唯一できるのは、枠が強固な枠なのか、半透明なまで薄らいでいくのかと言うこと。

それでも焦点を当て何かを確認する限り私の世界は消えないと言うことです。

でも、そのベースとなるものは一つで『気づきの意識』なんですよね。

この一節をシェアして貰って、ドラマの世界と気づき意識の世界が今更一つになった次第です。

なので、枠の中でドラマに巻き込まれている私も、気づきの意識の中に作られた枠の世界に居て、結局は一つでしかなかったと言うことです。

今まで『気づきの意識の世界』と『ドラマの世界』の二つの世界を私は繋げて理解することが出来ず、非二元は理解できないものだと諦めていたのですが、この一節のおかげで新たな理解に進みました。

肉体がある限りドラマは生まれる事は、今まで私が言っていた事と同じだけれど、枠の概念ができただけで「なるほど〜」になりました。

その一節をシェアしてくれた友人に感謝です。

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