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魂と魂が触れ合っていく

こんにちは、この週末の三連休に私がやっているゲシュタルト療法のファリシテーター集会があり参加してきました。

 

ゲシュタルト療法は、その人の在りようを信頼してその人がその人らしく生きていく事をサポートしていく療法です。

自分の感覚に気づいていく事をするだけでクライエントは自ら問題解決へと進んでいく事が出来ます。

 

そのファシリテーターの学びの中で、とても貴重なそして豊かな体験をしました。

それは、カウンセラーとしてクライエントに向き合うのではなく、一人の人間として向き合う大切さです。

 

カウンセリングの場では、どうしてもクライエントと向き合うのはカウンセラーとしてだったり、セラピストだったりと癒し手のマインドを持ってしまいがちです。

でも、今回体験したのは癒し手ではなく、一人の人として自分に正直にクライエントと一緒にいる事。クライエントをジャッジせずありのままの在りようを一緒に感じ取り自分の中で起こっている事を正直に伝える事。

クライエントを癒すのではなく、クライエントの内側で起こる事を信頼してその場に一緒にいる事という事でした。

 

ファシリテーターとは癒し手ではなく、カウンセラーでも無く、クライエントが自分の内側に気づいていくことをサポートする人という事です。

 

その事を胸にファシリテーターとしてクライエントに向き合うった時、私は目の前にいる人が真摯に自分に向き合っている姿の美しさに感動して涙が止まりませんでした。

今までも多くの人と向き合ってきましたが、こんな風に感動に震えることは初めての体験です。

私も正直にその場にいて、クライエントも正直にその場にいて自分の感覚に触れていく。お互いが剥き身になって美しい魂となり、その魂のふれあいのように感じたのです。

その静かなる魂と触れ合いの中でクライエントの内側から自然と変化が起こり、自ら新たな方向を見つけ出していきました。

言葉の無い、静かな時間の豊かさ。

 

相手を信じ、自分を信じ、その場を信じる。

その時に共鳴する力。

その魂同士の触れ合いが、サポートになっていく事を体験しました。

 

人は全ての人が自分で生きる力を持っている。自分と起こってくるその場を信頼する。

信頼できない自分が出てきたら、その不安感や脆さも正直に気づいていく。

 

それは、結局 非二元のストーリーの中でも言われている事なんですよね。

全て起こっている事に気付いていく、受け入れていく、脆い自分の感覚を許していく、何も排除するものは無く、全てが在る事気づいていく。そして、その場に居る。

 

その入り口をゲシュタルト療法を使って触れることが出来るんだろうと思います。

愛を持って正直でありたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今年を振り返ってみると。

2018年もあと数日で終わります。

今年はどんな事があったのだろうかと振り返ると、私の意識の視点が大きく変わった年だと思います。
自己探求と言いながら何かのゴールを目指して「自分は居ない」と言う目覚めを得るために、自分の満足を満たす探求をしていた自分。
それも自分を見つめるためには大切な旅をしてきたのだと思います。
しかし、その旅も実は自分を満足させるストーリーなのだと気付き、そのストーリーは不要なのだと分かり探求は終わりました。
それを経験した一年でした。
目覚めへの探求が終わると思考から離れる事が出来て、理解するのではなくて経験する事に感覚が移行します。
目覚めや悟りはストーリーの一部でしか無くて、今の私には如何に体験に気づいていくか。が、大切になってきました。
今、身体はどんな感覚になっているのか、感情の波動はどうなっているのか、この身体は何を経験しているのか、今何が起こっているのだろうか。
その事だけに興味をもって自分と言う存在を見ています。
だけど、面白い事に思考はそこに留まらず妄想や過去や未来を作り出し、体験とは一緒にいない事が多いのです。
その事にも気付きながら、私の体験や思考を味わっている感覚になっています。
勿論、時々ストーリーに嵌り込んで気持ちが振り回されている時もありますが(笑)
それも、そんな状態の私です。
そう思うと、この一年は少し迷路から抜け出たような感じがしています。
来年もそう言いながら、考えたり感じたり気付いたりした事をツラツラと綴り、何か皆様と触れ合う事を楽しんでいきたいと思っています。
今年一年、ありがとうございました。

第3回目 非二元好きの方のお茶会

第3回目の非二元好きの方のお茶会を開催します。

非二元やノンデュアル好きな方が集まって普段出来ないお話をしましょう!

自分の日々感じていることや、自己体験、多くのものを通りして学んでいる事、目覚めていく学びの体験など、お互いの目覚めの探求をシェアし合いましょう。

シェアする事で自分の中にある目覚める力が深まっていく場です。

 

ゆったりお茶をしながら、皆んなで語り合いましょう。

■日時 : 2/24(日) 13:00-16:00

■場所 : 東京都墨田区ビックシップ 2階和室

■参加費 : 1500円

■お申し込み先 : インフィニティー 上谷和美  http://infinity-sp.com/mail.html

 

インナーチャイルドの癒しは必要?

こんにちは。

いよいよ寒くなってきました。年末になってきましたね。

 

今日は「感情」をテーマにもう少し深めて書いてみようと思います。

 

ネガティブ感情が出てきた時、インナーチャイルドを癒すと云う言葉をよく使っています。

私もインナーチャイルドを癒すワークを沢山行ってきました。

今思うと、インナーチャイルドを癒すという事に違和感を感じています。

 

そもそもインナーチャイルド自体、存在しないのに自分の中にそのような偶像を作り上げて本来の自分と分離させている事や、インナーチャイルドを癒すと称して自分に素直になる事を誤魔化していると思うようになりました。

それが、更に分離の世界を作り出しているように思うのです。

 

イメージの世界を作って自分が感じている感覚を具現化してストーリーの上塗りをしている感じ。

そうすると感情を受け止める時もズレが出ていたように私は思います。

 

「インナーチャイルドの感情を癒す」と言っていた時は、インナーチャイルドの感情を受け止めるのではなくてインナーチャイルドが傷として持っている状況を理解して、「だから私は寂しかったんだな」って感じで自分の内側の出来事を理解して終わっていたように思います。

根幹の感情を受け止め、感情に寄り添う事までしていなかったのです。

理解することは単に知るだけで、傍観している感じ。

寄り添うことは存在を受け止める事。

 

理解は結局必要なく、感情を素直に受け止めるだけで良かったのだと今更ながら気付いたりしました。

 

インナーチャイルドと言っている事は、過去の幻想から作られたイメージの世界が強化され、今感じている感覚から離れ理論で誤魔化かされていくように思うのです。

 

感情を受け止める事を自分に許す事が出来るようになるとインナーチャイルドの概念も不要になるようです。

 

 

誰でも出来るゲシュタルト 百武正嗣 スーパーバイズday

『誰でも出来るゲシュタルトワーク』スーパーバイズday

スーパーバイザー  百武正嗣氏❗️

 

毎月の誰ゲシュが特別企画でスーパーバイズdayを2日間開催します。

 

世界で活躍の百武正嗣氏がスーパーバイズをしてくれます。

百武さんのスーパーバイズはファシリテーターとしてのスキルだけでなく、ファシリテーターとしての在り方や関わり方を体験を通して教えてくれます。

とても学び深い2日間になるのは間違いなし!

ファシリテーターを目指している方は是非体験してみてください。

クライエントで参加する方も、百武さんのいつものワークとは一味違うワークや指導する百武さんを体験できる事でしょう。

 

《詳細》

●日程  :2019 . 3/9-10  の2日間

●時間  :10:00-17:00 (両日)

●場所  :タワーホール船堀 http://towerhall.jp/sp/access/

●参加費  2日間  :ファシリテーター希望   35,000円  / クライエント希望 30,000円

●申込先  :http://infinity-sp.com/mail.html

●定員  :ファシリテーター 8名/ クライエント 6名

 

感情をありのまま受け入れるコツ

こんにちは。

久しぶりのブログです。

最近、ちょっと自分の中が静かになってきて一旦落ち着いている感じがしています。

いっときは新しい体験をしたり、新しい感覚になったら理解が深まったりして変化の波に飲まれていましたが、今は体の中に馴染むように静かに見ている感じです。

 

ただそこにあるものを体験し続けていることをやっています。

 

前回、感情を風景のように見ているお話を書きました。その事をもう少し書こうと思います。

 

「感情をあるがままに受け止める」とよく言ってますが、やってるようでなかなか出来ないものだと自分の経験から思います。

自分では許し難い感情や認めたくない感情が湧いてくると「なんでこんな事思うんだろう」と自分で自分の感情を分析したり、思ってくる事を否定したりしていました。

だって、そんな感情を持たない方が理想だと思っていたから。

 

これって、大きなクセモノなんですよね。

そこにも居た、理想の自分。

 

自分の理想も必要なくて、理想は妄想でしかなくて理想というゴールはないと知ると、そこに向く枠が外れて感情のコントロールも無くなっていくように思います。

 

そしてそれは、孤独感や恐れや悲しみの感情に触れないように自分をガードしていることが多いのです。

 

そこに触れてしまうと自分が壊れてしまいそうで触れずに見て見ぬフリをしてたり…。

壊れるのはプライドなのか、過去の傷に触れる痛みなのか。

 

その恐れを妄想してガードしていたのです。そして、それも妄想から離れてありのままの感情に触れて、それを味わっていくと感情のエネルギーは落ち着いて風景に変わっていきます。

 

そう結局、感情はエネルギーでしかなくて、ただそのにあるエネルギーなだけで、感情は私に何も被害を及ぼさない。

 

そんな事を思いながら、今まではコントロールしていた感情をやっとありのまま受け止めることが出来るようになったと思います。

 

ただ毎日、ここを体験している。

今はそんな静かな時間です。

 

内側の感情が風景に変わる

前日、友人から心理療法のモニターを頼まれて音楽療法と云う心理療法を受けてきました。

音楽療法を初めて受けたのですが、進め方は私がマットの上に寝て目を閉じてクラッシック音楽を聴いていきます。セラピストは催眠療法のように私が少し変性意識になるように誘導していきます。

私は感覚や感じた事や映像が浮かんだらそれらをセラピストに伝えていくやり方です。

音楽と共に誘導されるのでリラックスしやすくて、奥深い感情に触れやすいみたいです。

セッションが始まり私は段々と深く入っていくと考えて答えるよりもイメージが浮かんできて、そのイメージを答えるようになっていきました。

勿論、私の意識ははっきりしています。だけど思考よりもイメージや感情が優先される感じですね。

深く入っていくと、ふと一人の淋しさを感じてきました。それは集団の中にいても一人ぽっちの淋しさの感じです。

小学生の時にイジメにあっていた時の覚えのある感覚。

そうすると、色んな感情が私の中に同居しているのがイメージで湧き上がってきました。

感情別の私が一人ずつ存在している感じです。

孤独の私、寂しい私、そんなネガティブな私を亡き者にしようと見ないふりをする私、孤独感や寂しさを受容すよとうする私、そんな対立が行われているのを見て失望する私。

沢山の私がいて、内側のスペースに混じり合ってます。

ちょっと、驚きました。

私の中で小競り合いをして、認めたくない私を亡き者にしようとしているのですから。

今までは思考で自分をコントロールしていたのかも知れません。

そして、このセッションではそれらの存在を認めてこの感覚と一緒にいました。

やり慣れていなくて、心地悪い感じですが、思考が弱まっているのでコントロール力が弱まりそのまま受け入れるしかないと云うのが本音です。

そうすると、次第に自分の感情が単なる風景のように見えてきて、内側の小競り合いやネガティブな人格たちのイメージは、電車の窓から見るような外の景色と同じようなものになってきたのです。

そこに在ることを許されると感情と自分自身の間に空間が出来て、ちょっと別のものになった感じでしょうか。

それは日常生活で見ている風景のビルがあったりクルマが走ってたり、信号があったり、鳥が飛んでたり…となんら変わらないように思えたのです。

単に在るだけ。

自分と感情を切り離す事が出来て、感情をゆったりと見てあげれるゆとりが出て来ました。

今までは、自分の受け入れれない感情が起こるとそれを否定して、その感情を認めるのが怖かったように思います。

それは自分の枠のようなものが壊れる感じがしていたのかも。そんな根拠のない恐怖。

でも、実は内側の世界も外側の世界と同様にただ在るだけで、それを全部そのまま見たところで何も恐ろしいことは起こらない。っ事。

今回の音楽療法は予期せぬ深いところの自分に触れたように思います。

自分が変化していくプロセスは自然に起こってくるんですね。人からの偶然の出会いがプロセスへと進めてくれています。

内側で起こる事も、外側で起こる事も全てにYes と云って受け入れるのは私のエネルギーを滞りなく運んでくれるように思います。

第2回目 非二元好きな方のお茶会しました

先日、第2回目のお茶会をしました。

1回目よりも興味を持って下さった方がいらっしゃり、仲間が増えました。

 

日常生活では人に言えない非二元の話題を思いっ切り仲間同士でお喋りし合う楽しい時間を持てたことに感謝しています。

 

情報交換をしたり、最近の自分なりの「目覚め」について感じていることを話してくれたり、ご自分の一瞥体験をお話しくださったり、話題はともかく普段お喋り出来ない事。笑

 

どなたのお話しも興味深く「うんうん、分かる〜」と自分に振り返っては自分の経験に照らし合わせたり、知らない事は興味津々で聞いたりして、同じ話題でも幅も深さも広いなぁと思って伺ってました。

 

この仲間のおしゃべり会は、スピリチュアルティーチャーがいない事で参加者全員が自由に、今起こっている自分の体験や理解をシェアができます。

そうする事で、日頃は口に出せない不安感を表現したり、シェアする事での安心感を得れるような気がしています。

まずは、私がそうだから。(笑)

 

目覚めとは、言葉では語れない自己の中に出てくる感覚だと思うから誰かに教えてもらうのではなくて、自分の今のプロセスを感じ語り合うことで、お互いに影響し合って新たな気づきに繋がるように思います。

もちろん、スピリチュアルティーチャーが存在して導いてくれるのも有難いのですが、時にはこんなお喋りを思いっ切り楽しめる場があるのは嬉しいものです。

 

場を作って下さった参加者の皆様ありがとうございます。

 

そして、参加者の皆さんから頂いた「また、次もやろう!」のお声に第3回目のお茶会を企画する予定です。

その時は、是非ご参加下さいね。

 

 

★★★お知らせ★★★

インフィニティーではワークショップやカウンセリングを行っています。

http://infinity-sp.com/

 

 

 

そこにまた戻るのかぁ

だいぶんと涼しくなって、少々寒いって感じがする日も出てきました。

私の方は何か静かにしていたい気持ちで、モチベーションも上がらずゆらゆらと暮らしている感じがしています。

 

ここで考えているのは誰なのか?

私なのか、私が居なければ宇宙の起こっている出来事の一つなのか。

 

屁理屈が始まります。

またいつものように分かったかのように思考で理解を並べて、片付けてる感じがしているのです。

 

「ああ…そうか…」と腑に落ちたつもりになっても、そこを味わっていくうちにいつのまにか思考に囚われてて、腑に落ちたつもりのことがまたいつもの思考のグルグル巻きの中に入り込んでいくのです。

 

イメージで例えるとすれば、黒色の事に気付いてそれを理解していくうちに、いつのまにかまた白色になってる感じなんですよね。

 

やっぱり気付いた事を思考で自分に言い聞かせて理解している いつものパターンにハマっています。

 

そんな時に友人から「今のあなたの感覚はどうなの?」と問いかけられました。

自分の内側に触れると、不安感や焦りや言葉にならないモヤモヤ感が浮き上がってきます。

「でも、これは私の感覚じゃないから。私では無いから。」などと強がりを言ってみせます。

「誰の感覚でもいいんだけど、それは今のここで確かに存在していると感覚よね」と友人。

 

私はその言葉で何故か泣けてきました。素直になった涙なのかも知れません。

 

屁理屈で   『在るものを無かったもの にする』のでは無く、『在るものを在るものとして自覚する 』と言うことにまた立ち戻りました。

 

内側で起こっている感覚に敏感になる

外側の出来事や頭にフォーカスせず、お腹の感覚にフォーカスする感じ。

 

非二元などと屁理屈を言う前に自分の内側で起こっている感覚を自覚すると言う、本当に心理療法で言っている基本的なところに辿り着くのです。

個人を味わい体験し尽くし、起こることに従っていく。

 

体験を良いもの悪いものに分けず、そこに在るものを受け入れていく。

結局全ては内側に存在していて、それを自覚して受け止めていく。

感じることでなるものに従っていく。

 

その内側外側の『在るもの』全てが在るものとしてその場を作り出す全体性の流れの中にあると、この瞬間腑に落ちてます。

(この思考はそのまま手放しますね。またグルグル巻きになってしまうので  笑)

 

少しこんな風に感覚が変化してきています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その先にあった喪失感

前回からの話で、自分は居ないと云う気付きの話をしたいと思います。

一番最初の体験は自分のエネルギーは全てと一つで繋がっていて、自分と言う個体は自分ではなくて、宇宙の一部でしかないと感じた事。

これは大きな喜びで至福の体験でした。

 

そして、今度は思考の観点からの気づきで「自分を安心させたいから説明を求め納得させる」と分かり、 自己の存在が露わになりました。

納得することに執着せず、分からないままにしておくことで自己から離れることができ、自己はおらず、『意識』だけが宇宙の流れの中にある真の存在だと分かってきました。

私はこれに触れた時に、何故か心の底で喪失感を感じたのです。

自分が死ぬ恐怖とは違い、自分の人生が無くなる喪失感です。

自分の人生はコントロール出来ないと十分に理解しているのにも関わらず、これに気付いた時には土壇場に追いやられた動物のように自分の人生が無くなってしまう恐れや喪失感を感じているのです。

 

「私は居ない」   本などを読んで理解することを憧れていた言葉ですが、ここに来て、その意味が私の身体にのしかかって来た時には抵抗している私がいます。

正しく言えば、その感覚を受け入れれないのと、それを受け入れた時に次元の違う世界に入り込んで平衡感覚を失うようになる感じがしているのです。

 

正直、至福はなく、こんなハズじゃ無かったって感じです。

一体私は何を求めていたのでしょうか。

幸せの青い鳥を求めていたのでしょうか。

『真実』と言いながらも幸せなゴールを求めていたのだろうか。

ここに来て、自分のエゴを見せつけられて苦笑するしかない感じです。

 

自己を満足させるために自己探求が始まり、自己探求はエゴのエネルギーが動力で動いていて、気付いた事でエゴエネルギーがシャットダウンされ自己満足ではなくて自己消失でした   って物語。

 

ストーリーから抜け出す。

でも、慣れ親しんだストーリーの舞台から降りるのは怖いのです。

 

変な話ですね。

そして、その怖さを感じている私は誰?

 

力を入れて握りしめている限り、終わりのない禅問答が行われます。

その力を緩めてえ手放した時に落ち着くのかも知れません。

ちょっと今は、平衡感覚を失ったような重力の違う次元に居る自分と一緒に過ごしている私です。

★★★インフィニティーのお知らせ★★★

■非二元好きの方のお茶会

10/ 21にお茶会をします。

ご興味のあるかたはご参加下さい。

詳細はこちら

非二元の好きな方のお茶会 二回目