気づき

非二元とストーリーの両輪を生きる

今週末はゲシュタルトワークショップに参加してきました。
ゲシュタルトワークとは、一人のクライエントとファシリテーターの一対一でワークを行います。
他の参加者は二人がワークをするのをただ見守ります。

クライエントが自分の問題をファシリテーターに話し、ファシリテーターはクライエントが その話をした『今』この瞬間に身体や感情はどんな状態になっているのかを聞きながら、クライエントが自分の中に起こっていることに気付けるように促進します。

クライエントの身体の感覚で起こることや湧き上がる感情は自分の正直な感覚です。
その感覚は、有機体して生きて行くための本能であり、人間として正直に生きるセンサーでもあります。

例えば、腐ったものを食べると咄嗟に吐き出してしまうように、私たち人間の感覚は迷い無く生きる方法を知っているのです。

思考は過去の経験や未来の予測や、誰かから教えられた知恵などを考えているから『今』身体でどんな感じがしているのかに気付かなくなっています。 だから、ゲシュタルトワークでは敢えて思考に捉われずに身体の感覚や動き、咄嗟に出る言葉などを拾っていきます。

ゲシュタルトで扱っている世界はもちろん、クライエントが経験した自分の思い込みの世界です。
日々の出来事はただ『起こっているだけ』だけど、人間という有機体はそこに自分という名前を付けてストーリーを生きています。
その中で、苦しみ、喜び、悲しみ、悔しさなどのストーリーを彩っていきます。
私たちは何者でもなく、ただの存在であり、今この瞬間瞬間の宇宙全体が私という存在なのですが、有機体の五感で今を感じているのも、まさに『私』と名付けて有機体であるがゆえに五感で今を感じ取っています。

だから、私たちは宇宙として『私』は居ない事を知りながら、有機体であるこの感覚を生きていく事になります。

そして、そのストーリーを生きるのに私を素直を感じていくこと、有機体である五感を感じ取りながら正直に生きていくことが大切だと思うのです。

ストーリーに気付きながら、有機体が起こしている感覚に素直になって生きていく。
この有機体は『私』ではないと知りながら、有機体が持つ 生き延びようとする生命本能 や 自己成長の意識を見ていく。
その両輪が必要なのだと改めてワークを見守りながら感じていました。

ゲシュタルトワークショップはいつもやっていますが、更に深く自分の中の両輪に触れた気がします。
これも、私自身の理解が深まりゲシュタルトワークと言うものを新たな目線で見れるようになったのだと思います。

それらを通してゲシュタルトワークが、更に意味のあるものだと感じた時でもありました。

 

★★★ワークショップのご案内★★★

各種ワークショップを開催しています。

スケジュールはインフィニティーHPに記載していますので、ご覧下さい。

一年経ちました。そして…、

インフィニティーを立ち上げて、一年になりました。

一年しか経っていないのに、とても長く感じています。

立ち上がる前は、学んでいるグループとの繋がりが強く、グループの影響や仲間の繋がりが安心感となり心地良いものでした。

自分で立ち上げると、そのコミュニティーから離れるようになり胎児が外に出たかのように、自分独自の「どうしたいのか」を考えるようになりました。

今までのやり方でいいのか…、今までの学んだスタイルをステレオタイプでやりたいのか、自分は何をやりたいのか、本質を再度自分に問うようになりました。

今思うと立ち上げるまでは、立ち上げることを目標として、目標に進んでいたのだと思います。

 

しかし、『目標』とは 「やりたいことだったのか」と云うことに立ち止まりだしています。

目標とはやりたいことなのでしょうか?

目標とは『何を』するかを追いかけているように思います。

時として、私達は自分の過去の経験や努力を無駄にしたくなく、その経験からのゴールを作り出したいと考えるのではないでしょうか。

でも、それが本当に自分自身が求めている姿だったのでしょうか?

 

一年経った今、自分の足で歩き出してみると本質に触れ出して、本当は何がしたいのか?と言うことを問いかけ始めました。

それは『何をしたいのか』では無く、『何故したいのか』

 

『何 What 』では無く『何故 Why』

それを問いかけ続けることで、自分らしい新たな方向が見つかるように思うのです。

Why  を見つめることで『How どうしたいのか』が明確になります。

 

それすら実はストーリーの中にいるのですが、同じ夢の中でもエゴを握りしめて生きるのと、魂が心地よく宇宙の流れに乗って生きるのではストーリーの作り方が変わると思います。

 

一年経って今、学んできた事への執着を手放して変化する自分の信じて、自分の動きを見てみたいと思っています。

コミュニティーから出て独立すると云うのは自己信頼と大きな成長に繋がりると感じた一年です。

 

そんな話をまた、追い追いと書いていきたいと思います。

 

 

 

 

 

シフトへの扉

前回ストーリーから抜け出す話を書きました。

以前は、”悟り” や ”目覚め” はゴールの向こう側にあり、そこに達するために自己を磨き自己の傷を癒し自分が抱えている問題を手放した先に輝かしい世界が待っているのだと思っていました。

玉ねぎの皮むきのように一枚一枚剥いていき、いつかは心安らぐ自分になると思っていました。

いつになったら、そこに辿り着けるのか・・・。私はあとどれぐらい掛かるのか・・・。

 

しかし、先日ぼーっと歩いていたら浮かんできたのです。

その望んでいたゴールは無いし目指すものも無いのだと。

そう旅もなければ道もないのです。

私の求めていたものは、私の隣にあったのです。それは隣に扉がある感じ。

ストーリーの終わりとは、その扉をただ開くだけでした。扉はいつでも自分で開くことが出来ます。

そう扉の鍵は『安心する』『リラックスする』『寛ぐ』『信頼する』それだけでした。

だから玉ねぎの皮剥きは必要なく、玉ねぎすら実は無かったのです。

玉ねぎと思っていたのは思考が玉ねぎを作っていただけだから。

 

その扉は私の隣にいつでもあって、いつでも開けて旅を終わらせることが出来ます。

しかし、その『安心する・寛ぐ・委ねる』プロセスが何とも難しいこと・・・。

分かっていても出来ない小さな私がいて、”理解” と ”可能にすること” の狭間に挟まれてもがいている私がいます。

 

ストーリーの終わり、目覚め、シフトとは宇宙の流れにお任せすることだったのですが、完全に出来ない私も今ここに居ます。

時には扉を開けて委ねていたり、時には不安になって幻想の世界をコントロールしようとしたりしています。

今は、そんな不安な自分も受け入れそれすらも宇宙の流れの一つなのだと見ています。

全ての答えは「今に寛ぐ」でした。

 

 

 

うるさい頭の中

フローティングタンクに初めて入ってみました。

フローティングタンクとは、人が一人横たわれるカプセルのようなものの中に塩分濃度の濃いお湯が水深30㎝程度入っているものです。
その中に裸で入ってお湯の中で寝仰向けの状態で浮きます。タンクの中は真っ暗で音も聞こえず、目を開けても閉じても同じ、自分の呼吸の音すらうるさく聞こえるほど静かな空間になります。

身体は完全に浮いていますから、どこにも力が入らず自然な状態です。

私はその静かな空間で90分過ごすコースを体験しました。

一種の瞑想状態になります。自分の内側を見つめ、ゆっくりと静かに自分に触れる時間。
身体は自己治癒力で間接などがペキペキと鳴り出して緩んでるいきます。

その中で静かに過ごすハズでしたが、それがナンと私の頭の中の煩いこと(苦笑)

人は一分間に100語の言葉を話して、頭の中では600語を話すと言います。

その600語の言葉が溢れんばかりに頭の中を駆け巡ります。それも一向に修まらないんです。

いつもは外部の情報に惑わされて気付かなかったのでしょう。私の中はこんなに煩かったとは…。

そして、タンクの中で浮きながら身体を色々と動かし私のお試し行動が始まります。

腕をこのようなポーズにしたらここに負担がかかるとか、腰に力を入れたらどうなるかとか、色んな事の情報を仕入れようとします。

一通り情報を仕入れるとタンクに入っているのが飽きてきます。今度は身体は出たい衝動に駆られます。

どうも私と云う人は、「学習」が無いと時間の無駄だと考えているようです。

『思考から離れて』と思っているのに、思考は学習や学びに重きを置いてそこに価値を持っていたのです。私の思考は効率を求めたり成果を求めたりするようです。

それは私のエゴが成果があることを『良し』としているようで、それが人生のサバイバルを生きていく上で必要だと思っているのでしょうね。反対を言えば、そうでないと安心できなかったのでしょう。

いつも私のエゴはこの世をサバイバルとして戦わなければいけない。自分を守るための戦闘態勢だったのだと思います。

そんな『私』を労り、何も考えなくても安全で安心なのだと自分に教えていく。

「あるまま」を信頼してそのままを見ていく。

毎日瞑想をして心を沈めていたつもりでしたが、全く出来ていない事を知れたのは大きなステップになりました。『静』に留まり、静から出てくる世界を見ていく事を知る。

当面はフローティングタンクにハマりそうです。

静かな時間を味わう状態を感じていこうと思います。

 

表現アートセラピーの魅力

『表現アートセラピー』って知っていますか?

あまり聞きなれないセラピーだと思います。 描いた絵を分析するの?って思われる方もいらっしゃるかも知れませんね。

表現アートセラピーとは、そのように分析したり解釈したりするものではありません。

提唱者は有名な心理学者 カール・ロジャース氏の娘ナタリー・ロジャースで、父親から譲り受けたパーソナルセンタードをベースとしたものになっています。ですから、表現アートセラピーとは人間性心理学に基づき表現されたものは分析を行うことをせず、表現者の内的気づきや成長を目的としたものになっています。

表現方法は 絵を描く・音を出す・体を動かす・文字で書く・粘土で作る・創作する、そして分かち合うという事をします。

表現の上手い下手は一切関係ありません。子供が落書きをするように感じたままを手を通して描く、創る、身体を動かす、、そんな事をしていると自然と思考から外れて潜在意識が開かれていきます。それは、本当の自分が感じるままに表現した何かが生まれるのです。

私は他のカウンセリング療法もやっていますが、表現アートセラピーの好きなのは、この「言葉」ではない自分の内側から湧いてくる感覚をただ表現できるところにあります。

表現アートセラピーの魅力

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それは思考を通さない本当の感覚ですから一切嘘はつけません。その表現されたものは、表現者のエネルギーそのものなのです。

表現アートセラピーは自分の内側にあるものに、ゆっくり丁寧に触れ表現することで具現化さて今の瞬間の自分に出逢えます。

思考の枠を超えているから、表現した自分の作品から新たな発見が見えたりします。

そして、その発見はいつも、その人の必要なタイミングで必要なメッセージが見えてきます。

客観的に自分の内側を見ることで自分に何が起こっているのか知り、自分のペースでゆっくりと自分と会話することが出来るのです。

そして、答えはいつも自分の心の中にあります。そう、自分が全部教えてくれるのです。

自分を表現してみませんか? それは歩くように動く事だったり、一本の線を描くようなことだったりします。

 その表現の中に今の瞬間のあなたの気づきがあります。

その気づきは、あなた自身へのギフトです。

 

表現アートセラピーワークを体験して是非、そんなご自分で出逢ってみて下さい。