フローティングタンクに初めて入ってみました。
フローティングタンクとは、人が一人横たわれるカプセルのようなものの中に塩分濃度の濃いお湯が水深30㎝程度入っているものです。
その中に裸で入ってお湯の中で寝仰向けの状態で浮きます。タンクの中は真っ暗で音も聞こえず、目を開けても閉じても同じ、自分の呼吸の音すらうるさく聞こえるほど静かな空間になります。
身体は完全に浮いていますから、どこにも力が入らず自然な状態です。
私はその静かな空間で90分過ごすコースを体験しました。
一種の瞑想状態になります。自分の内側を見つめ、ゆっくりと静かに自分に触れる時間。
身体は自己治癒力で間接などがペキペキと鳴り出して緩んでるいきます。
その中で静かに過ごすハズでしたが、それがナンと私の頭の中の煩いこと(苦笑)
人は一分間に100語の言葉を話して、頭の中では600語を話すと言います。
その600語の言葉が溢れんばかりに頭の中を駆け巡ります。それも一向に修まらないんです。
いつもは外部の情報に惑わされて気付かなかったのでしょう。私の中はこんなに煩かったとは…。
そして、タンクの中で浮きながら身体を色々と動かし私のお試し行動が始まります。
腕をこのようなポーズにしたらここに負担がかかるとか、腰に力を入れたらどうなるかとか、色んな事の情報を仕入れようとします。
一通り情報を仕入れるとタンクに入っているのが飽きてきます。今度は身体は出たい衝動に駆られます。
どうも私と云う人は、「学習」が無いと時間の無駄だと考えているようです。
『思考から離れて』と思っているのに、思考は学習や学びに重きを置いてそこに価値を持っていたのです。私の思考は効率を求めたり成果を求めたりするようです。
それは私のエゴが成果があることを『良し』としているようで、それが人生のサバイバルを生きていく上で必要だと思っているのでしょうね。反対を言えば、そうでないと安心できなかったのでしょう。
いつも私のエゴはこの世をサバイバルとして戦わなければいけない。自分を守るための戦闘態勢だったのだと思います。
そんな『私』を労り、何も考えなくても安全で安心なのだと自分に教えていく。
「あるまま」を信頼してそのままを見ていく。
毎日瞑想をして心を沈めていたつもりでしたが、全く出来ていない事を知れたのは大きなステップになりました。『静』に留まり、静から出てくる世界を見ていく事を知る。
当面はフローティングタンクにハマりそうです。
静かな時間を味わう状態を感じていこうと思います。