つぶやき
非二元好きのお茶会
★★★非二元好きのお茶会★★★
非二元論(ノンデュアル)の好きな方
病気からの方向転換
先日、脳ドックを受診してきました。
久しぶりにMRI の機械の中に入り、昔を思い出したました。
昔というのは、ちょうど10年前に私は脳の血管が破裂しかかる病気の『解離性動脈瘤』という病気になりました。
頭痛が酷く病院に行くと、そのまま緊急入院となり医師からは生存率は30%でその中でも後遺症を持たずに復帰できるのは10%の宣告を受けました。そして、そのまま半年間休職する事に。
その時、私はマネージャー職としてスタッフを100人抱えて働いていた時でした。
いつもスーツの鎧を着て、月の半分以上は出張しているような生活でしたから、急に仕事から離脱して自分の居る場所を無くした感覚、しかも会社は私が居なくても動いているショック。
自分の存在価値を失ったような感覚でした。
その存在価値の喪失感から逃げるために、代替え案としてカウンセリングを学び会社を退職して独立を考えたのでした。
カウンセリングを学び始めて、練習のためカウンセリングをやり合うのですが、カウンセラー役の人が「その時、どう感じましたか?」と考えではなく、どう感じているのか…を聞かれると自分で分からないのです。
感じてる事が分からない。。
そして、感じたことを言葉にしようとすると涙が溢れてくるのです。
今までは一人で悔し泣きはする事はありましたが、感情を感じで人前で泣く事などなかったので自分でもどうなっているのやら分かりませんでした。
今、思えば鎧を着て心も身体も防御して、自分自身に触れないようにしていたのでしょうね。
だから、病気になって身体の痛みからストップが掛かったのですが。
そして、カウンセリングが進み自分の話をしたり、気持ちを感じて言葉にする事で心が解れていくのを知ったのです。
私は今現在、結局そのまま会社に勤務をしており、担当部署が変わり人材育成の仕事に携わっています。
社内の人達を見ていると、一人で苦しんでいる人や身体症状にまで出ている人がいたりします。
サポートしたいと思っても、ご本人がその気持ちにならないと進まない作業ですから、なかなかサポートが出来なく歯痒く感じているところでもあります。
自分の今の状態をただ言葉にするだけでも、気持ちが楽になったりするのになぁ。
ですから、誰もが自分の事を素直に人を話せる場所があればいいなぁと心から思うのです。
そんな思いで『フリートークルーム』を行なったりしています。
私自身のの経験から、まずは誰かに話をしてほしいと思うのです。そして、自分の中にある本心をちょっと覗いてみてほしいのです。
もちろん誰かとは、トレーニングを受けた人ですが。
そこに触れるだけで、気持ちはとても楽になります。
そんな、初心に戻った時間でした。
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中野真作さんのリトリートに参加して
3月上旬に中野真作さんのリトリートに参加してきました。
中野真作さんとは、非二元の本を出版されてる方で私は時々彼の個人セッションを受けたりしています。
彼の持論の好きなところは、非二元の世界を伝えるだけで無く、カウンセリングでまずは自己の内側を見つめ自分を「個」として癒し他者と自分の境界線を作ってから、次のステップとして非二元の「自分は個ではない」と伝えているところです。
心理学と精神世界を融合させて人の成長のステップを伝えてくれています。
私もゲシュタルトでは、「個」を作る作業をし、そして自己信頼を取り戻してから、次に全ては自分が作り上げていた幻想だったことや、そもそも「私」という存在すら思考が作り出したアバターだったと理解する作業へと移行しています。
それは今でも、どちらも続いています。
「個」の中にある苦しみや思い込みや自己存在感は無くならず、それがあるから肉体だと思うし、またもう一方で幻想ゲームを終了させて宇宙の流れの中に委ねた在り方もあるからです。
最近、私の中に行き詰まりがありました。
それは、思考すら私ではなく宇宙が起こしている事であれば何かをしようを意図することすら不要なのでは無いか。という事です。
悟るとか、ストーリーに気付くとか、思考から離れるとかと、沢山の目覚めのためのステップを聞くけれど、それすらも全て思考でコントロールして方向性を決めて行くことになるのではないか。
そして、その思考のコントロールは自分がやってるように思っても実は宇宙が起こしているだけで、それをすることすら「目覚めごっこ」のストーリーに中にいる心地悪さがありました。
私の頭の中はグルグル状態でした。
正解が見つからないのです。
まぁ、正解を欲している私が既にコントロールに入って苦しいワケですが(笑)
そんな事をリトリートの会場で中野さんに質問しました。
彼からの答えは、結局は全てがストーリーなんですよ。ただ、そこで起こっている感情や感覚を感じて下さい。思考のグルグルを止めて感覚にいて下さい。という事でした。
それらを通して私が受け取ったメッセージは、
思考の中には答えがなく、感覚だけが今起こっている本質。だから、今起こっている感覚(現実)の中に私もエネルギーとして存在すること。
そこには言語的答えではなく、言葉にならない世界の豊かさや確信的感覚がもたらされるのではないかという事でした。
突き詰めれば突き詰めるほど、「ストーリー」と言われている生活と「リアリティー」と言われている世界は一体化していき、スタートラインに戻っていくのです。
まぁ、屁理屈を言わず考えを止めて、ここにいる事を感じていきなさい。って感じですね(笑)
そんな事を知ったリトリートの一日でした。
何者にもならない生き方
「何者にもなる必要はない」の言葉が自分の内側から聞こえてからのその後、力が抜けています。
何かを追い求めて今にいるのではなく、今にいるために「今」にいる感じ。
以前は目標としているものがあり、それになるために、何者かになるために「今」を生きていました。
未来に意識をおいて、未来の姿を欲して「今」をその過程として進んでいたのです。
でも、それは不要だと気づいたのです。
それに気づくと人生ゲームの競争から離れれたような気がします。
未来に縛られなくなり、仕事で成功させることも意味が無くなり、ゴールもなく、進む方向さえありません。
あるのは、自由なお任せゴールと今に居ることの360度の広がり。
もちろん、今やっている事や仕事の評価や結果が気になったり、誰かの豊かな生活が羨ましかったりしますが、それは「気になる」と云う事が 今 起こっているだけの事なのです。
そして、私はそこを体験し続ける。
ただ生きている有機体を体験する。
今起こっている事を起こしていく、それをただ見ていく。受容的な在り方。
今思うと、何者かになろうとしていたのは自分のエゴの声だと知ります。
でも、そのエゴの声も起こっているだけだったのです。
起こっている事を見つめて体験して味わっていく。今起こっている五感の感覚を感じ、今湧いている感覚や流れを受け止めていく。
今は違う意味での人生ゲームを楽しむ事が出来ます。
人生競争ゲームではなく、人生体験ゲームを遊び楽しむ。それが宇宙の中の有機体として存在する楽しみの気がしています。
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ファシリテーターとしての存在
先日、テレビで歌を聴いて感動して涙が出てきました。
それは素人の高校生が歌っていて、審査員とカラオケマシンで採点をしていたのですが、審査員すら涙を流しながら彼女の歌に聴き惚れていました。
彼女の唄声は心を包むように優しく、そして力強さもあり私の心に染み込んできました。
審査員のコメントが、彼女は審査されていることを意識せず自分のために歌っている。歌に歌い手の生き方が出ていて、とても力強さと優しさがあった。と云うような事を言ってました。
審査員の「彼女は自分のために唄っている」の言葉が心に残り、自分のファシリテーターとしての在り方と重なりました。
そう、人と向き合うファシリテーターは他者を癒してあげようとか、サポートしようとか思う必要はないのだと改めて思ったのです。
ファシリテーターは自分は自分のことをする。
クライエントと向き合っていても、自分の感覚にフォーカスして自分の内側を感じていく。
自分軸を持ち、自分としてそこに存在する大切さ。
全ての人が自分で前に進む力を持っています。
その人と向き合った時にファシリテーターが『自分』でいる事で、関係性の中でクライエントは自己信頼や自己回復力を取り戻すのです。
その事を彼女の歌を通して改めて感じたのです。
私はファシリテーターとしてスキルアップの練習をしていますが、そのトレーニングはスキルを上げるのではなく、ファシリテーターと云う立場から自分を見つめ、そして自分軸を持ってクライエントの前に立つ人としての学びなのだと思いました。
私 「上谷和美」と云う人であり、その私がワークの場に存在することで、私との関係性の中でクライエントが自分で成長をしていく。
この場の瞬間に「上谷和美」として存在すること。
私は存在しないが、私として存在する。
自己はおらず、存在がある。
存在することの意義。
彼女の歌を聴いて感動して涙が溢れた感覚は、そこに何か確かな存在があり、存在意義を思うのです。そこに在ると言う事の価値を。
ストーリーの中で、自分を生きる価値や意義を感じています。
ゲシュタルトワークの魅力
先日、テレビ放映でゲシュタルト療法で体験談が紹介されたせいか、ゲシュタルトワークショップに興味を持っていただく方が増えたように感じます。
クライエントになってワークしている時は、そこには居ないハズの人が本当に居るように思えたり、声が聞こえたり、あたかもその場にいるように感じワークを通して自分の中で何が起こっているのか客観的に視る事が出来ます。
そして、自分の中から自然と改善する答えが出てきます。
私も先日、久しぶりにワークをしました。
話のテーマは『直属の上司が私との会話で不機嫌になると、不安になり相手のご機嫌をとってしまう事』
相手の感情は自分の責任では無いと分かっていながら、ご機嫌斜めになると隣に座っているから、仕事をしてても気になってしょうがない。
私の意識は完全に上司のご機嫌にフォーカスされてしまいます。
皆さんは、他人のご機嫌で振り回される事ありませんか?
ワークを開始して、まずは『自分の外側で起こっている出来事の座布団』を置きました。
そして、その座布団から少し離れて横並びに『私の座布団』を置きました。
外側の出来事(上司が私が原因で不機嫌になる)が発生すると、私の座布団に向かってビームのような光線が発射されます。
その光線がこう言ってます。
「機嫌が悪いんだから、どうにかしなさい!」
その光線の動きを、もう一つの座布団で表してみます。そうすると光線の座布団は、その言葉と一緒にわたしの座布団の上に覆い尽くしました。
そして、私の気持ちは上司のご機嫌を取らなきゃならない使命感に駆られるのです。
試しに、そのビーム光線の座布団を『出来事の座布団』と『私の座布団』の間に置いて座布団の上に座ってみます。
座って見ると出てきた言葉は「良い子でいなさい」、「あなたが悪いんだから我慢しなさい」「好かれる子になりなさい」そんな言葉でした。
それは子供の頃に聞いていた母からの言葉です。
私は無意識に母の観念や母の言葉に操作されて、社会生活で生きづらさを作っていたのです。
愕然としました。母の観念は私にこれほどまでに影響をしていたとは・・・。
その教えを手放す作業をしてワークは終了しました。
たぶん、これからは同じような事が起こって、不安感情を抱いても母の呪縛から離れて自分に教えてあげる事が出来ると思います。
これは、一つの生きづらさを手放せた瞬間だと思います。
私は過去に教えられた観念でストーリーを作り上げて出来事を見ていたのです。
その上司は私が母から植え付けられた観念を教えてくれました。
ワークをして自分の起こっていることに気づき、気づいたら手離せてストーリーから離れることが出来ます。
全ては幻想と知っていても、無意識の中に擦り込まれた観念はストーリーの世界を作り上げ身体や心が反応しています。
それを、見破るのがゲシュタルトです。
是非、ゲシュタルトワークを経験してみてくださいね。
ゲシュタルトは自分に優しく、自分のストーリーに気づくステキなワークです。
★★★ワークショップご案内★★★
ゲシュタルトワークショップを定期的に行なっています。
ご興味のある方はご参加下さいね、
『誰でも出来るゲシュタルトワーク』
●2/24 10:00-15:30
●4/28. 10:00-15:30
詳しくはこちらへ
先の不安を解消するには。
「あ〜、寝れない…」と、夜中に目が覚めて考え事が始まりました。
問題の種は間もなく行うワークショップの事です。
これからのワークショップは新しいスタイルを築いていこうと決めてました。
でも、そのスタイルがまだ分かっていなく、やりながら自然に出来てくるかな…ってお任せ思考で動いてました。
でも、やっぱり不安で、どうやって構成しようかなどと考えて夜中に寝れなくなる始末…。
あれやこれやと考えている時に、ふと思いました。「なんでこんなに先の事を考えてるんだろう」
「あぁそうか、私は上手くやりたいと思ってるんだなぁ。何か失敗と言うものがあって、その形になる事を恐れて不安になってるんだなぁ。」
私と言う人間が、先のことを心配して上手くやろうしているのに気づきます。
「そんな先の想像をしているけど、それって必要か? しかも、この夜中に未来を想像してどうするの?」
そんなもう一人の自分からの突っ込みが入ります(笑)
それをするより、今の不安な自分・上手くやりたいと思っている自分と一緒に居ることにしました。
そうすると、気持ちは落ち着き自分の内側に問いかける事が出来ます。
今回のワークショップのテーマで私自身が思っていること何か?
ワークショップの場で提供したい事は何か?
問いかけると、ワークショップの場を作る意味が湧き上がってきます。
何か形を作ったり提供する事が目的ではなく、その場があり、その場にいる人が自分なりに自己の内側に向かう事を促すのだと言うこと。
私はそこにいて、参加者が安心して個々の内側に触れれるようにするだけ、参加者のプロセスを信頼するのだと自分の意思がクリアになってきます。
ワークショップ自体の流れを作ったり、上手くやろうとしたりして予定調和を作ろうとするのは私の不安からくるもので、宇宙を信頼していないことだったのだと気付くのです。
その事に気づくと大きな安心感が生まれます。
ワークショップのスタイルは作れていないけど、その場に起こった事を信頼すれば全て、その場に必要なことが起こる事だと知るのです。
それが、参加者さんに必要なプロセスなのだと信頼出来ます。
この気づきは、何よりも大きな私自身への答えでした。
先が不安になり思い悩んだりする事はよくあると思います。
でも、自分の視点を問題対処に向けず、その状況になっている今の自分の内側に向けてみる事が一番大切ですね。
問題対処よりも納得できる答えが見つかってくると思います。
全ては今のこの時に解決の方法がありますよね。
イライラ感情のその後
前回書いた暴走するイライラ感情のその後の展開を書こうと思います。
あれから、どうにもならない 〝イライラ感情″ を自分の中に作ったスペースに置いておくと、少し感情を深掘りするの余裕が出てきました。
「何がイライラする原因なんだろう」自分に問いかけます。
「あの人が勝手に進めてるからイヤなの!」言葉が出てきます。
また問いかけます。「勝手に進めるとナンでイヤなの?」
言葉が出てきます。「私を大切に扱ってくれてない!」
あぁ、そうか私は自分を大切に扱われていないと思い込んで怒りが込み上げていたのでした。
私のストーリーは「私は大切に扱われない」と言う観念を持って、そして「私を大切に扱って欲しい」と言う欲求を振りまいていたのです。
その観念と欲求が、私の身体の中のお腹の奥の方で疼いています。
この感覚を身体で感じたまま、その自分を客観的に観ているもう一人の〝気づきの私″ 。
「私と言う人間は、こんな思い込みをして、この世界を彩っているのかぁ。まだまだ自分の中にある傷付いた私なんだなぁ」と、気づきの私はこんな事を考えながら感情体の私を観ているのです。
そんな風に観ていると〝イライラ感情の私″ は自作自演からの少し抜け出しています。
とは云え、〝感情の私″も客観的に観ている〝気づきの私″もまだストーリーの同一化から離れた感じがなく、二人の私がくっつくように並んでいる感じがしています。ストーリーに巻き込まれて二人の私が隣同士にいる感じです。
その身体の感覚から意識的に離れて、ずっと遠いところから眺めてるイメージを作ってみます。
そのイメージは思考ではなく、ただ観ているだけの感じです。
この感じは思考とは違い、意識だけで存在している感覚です。思考とは文字通り考えや確認している事を気づいていきますが、意識とは思考すらしない漠然とそのものを観ているだけの感覚です。
考えない、言葉にしない、評価しない、確認しない、って感じでしょうか。
感情や思考、感覚から離れて傍観していると、それらのものは私と言う人間が作り上げた単なるストーリーだなぁと映画の物語を見ているような気分になります。
そうするとイライラした気分や、私を大切に扱ってくれない不満はどんどん冷めてきて、それほど大きな問題では無いように感じてきます。
そう、映画を観ててストーリーを観てるけど他人事のような感覚です。
そうするとストーリーの中で自分がイライラしているのはどうでも良くなり、そのストーリーの中でどうするのが気持ちいいかなぁと想像し始めます。
同じストーリーに中でも、自分の心地良い方向に視点が変わっていきます。
もちろん、それすらもストーリーの中で〝私の思考″が次の展開として起こしていることなんですが、心地良い新たな展開へと変わっていきます。
同じストーリーの世界を生きるにしても少しシフトして宇宙の意識とリンクしてきたように思います。
感情に十分に触れて、認めて、自分の観念に正直に向き合っていくとスペースが出来上がり傍観するゆとりが出来て、そのまま離れて観る。
思考を外してただ観ている。
そうしていくと、ストーリーと宇宙意識がリンクしてくるように感じます。
今回の私のイライラ感情や出来事は、この事を教えてくれるための流れだったのかも知れません。
大事なのは、自分のイライラ感情に嘘をつかない事ですね。
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どうにもできない イライラ感情
2018年明けましておめでとうございます。
今年もインフィニティー共々、よろしくお願いします。
今年もまた感じた事をツラツラと綴っていこうと思います。
新年早々ですが、今日は腹立たしい事があり、それらを通じて感じた事を書こうと思います。
ある出来事が気持ちに引っかかり、それが原因で湧き上がったイライラの感じと、相手を非難する自分がいました。私はその思考を眺め、「あぁ、ストーリーに振り回されてる」と気づきつつ、ストーリーから離れようとするけれど、やっぱり気持ちはイライラから離れられません。
怒りや感情の動きは自分の問題に向き合うチャンスなんだけど、気持ちはそんなことを言ってられなくて、ともかく批判的になっている自分を見ていく事しか出来ず、自分の切り離された部分を見つけるための作業など出来ないのです。
〝批判する思考″や〝思考からくる感情″ はストーリーと同一化していると分かっているけど、私の思考はコントロール出来ないし「ストーリーと分かっている」と言い聞かせて、自分を抑え込むのも単なる抑圧で違う気がするのです。
思考は『私』と言う有機体で単に起こっている事だし、その思考によって感情は沸き起こり結局、何にも出来ないことに気づくのです。
何にも出来ないから、感情的になっている自分と一緒に居るしかなくて、少なくとも今の現状から物理的に離れて自分の身を安心できる場に置く事しか手立てが無いのです。
イライラして頭のなかで文句を言って、気持ちが不安定な自分の状態をただ眺めて、その自分を許す。
自分という有機体に起こっていることをそのまま起こらしていく。
それが人間と言う有機体なんだなぁと感じているのです。
全てはストーリーと知って「同一化せずにストーリーを生きる」と本で読んだり知識はあっても、私を作り上げてる思考と感情はまだまだストーリーの中にいて、どうしようもない私を持て余しながら、その私を赦すスペースを作っていく事しか出来ないと感じています。
それら全てが今起こっている宇宙のようなものなのでしょうね。
私自身がもっと、思考も感情も身体も私のものではないと切り離しが出来るようになれば、こんな事も終わっていくのかも知れません。
その途上にいる今の私を素直に書いてみたくなりました。
きっと、同じような気持ちの人がいるだろうなぁ〜と思いつつ。
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