前回のブログで書いたように、思考の中に答えはなく、ただ起こっていることを体験するだけだと気付き、感覚や感情に留まろうとすると、意思に反して思考が湧いて出てくるのです。
感覚や感情を味わっていると、底無しの沼地に足を入れたような踏ん張りが効かない怖さや不安感を感じるのです。
考えていないと生き残れないような不安。
考える事で自分のやり方や理解を深めて存在を認めて安心することを求めている感じ。
考える事で自分を守っている感じ。
考える事で自己の足取りを確認している感じ。
それらの不安から解釈で型取っている自分。
思考が隠し持っている恐れに気付くのです。
しかし、それでも思考は止まらない。
だから、この思考もコントロールできない事と諦めると全てを体験として受け止める事が出来きます。
今はその事すら、この身体を通して起こっている事として体験していくのです。
この季節、散歩をしていると緑が多くなり自然が綺麗で、明るい緑の葉がサワサワと揺らいで光って見えます。
「新緑が出る季節で綺麗だなぁ」と呟く。
そんな時にただ「綺麗だなぁ〜」とだけ言葉にして、その感情や身体にある感覚を味わってみる。
「綺麗だなぁ」「気持ちいいなぁ」「寂しいなぁ」「悲しいなぁ」「嫌だなぁ」 「嬉しいなぁ」「不安だなぁ」「ムカつくなぁ」
それらの感情に触れる言葉だけを取り出して繰り返してみる。
その時に身体の中でうごめく波動を味わってみる。
そうすると体験している自分に触れることが出来るような感じです。
それは今までとは違う新たな扉を開いて、新しい世界を観ているような気がします。
何故だか世界が広がって見えるのです。
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