非二元の目覚めに関して書き綴りたいと思いながら、なかなか手が動かない私がいます。
どこかで非二元のような考え方を人に話すことで「気が振れた奴」だと思われたくないのかも知れません。
でも、そろそろ そんな自分を認め表現するしかないのだろうと思ったりもしています。
私が初めて『私』から剥がれた時のお話です。
私は、非二元論は以前から興味はあったものの知識も浅く、それらしい本を読んでは文字での理解や興味は持っていました。
しかしながら、実感はないまま興味の範囲で終わっていました。
ある日、私は自分でワークショップなどを開催することに抵抗しているとき、「何故それほどまでに私の中に抵抗があるのだろうか・・」と自分に問い掛けていました。答えは、もしも上手くいかなかったら周りの人に笑われる、恥ずかしい、取り残された感じがするなど 最初は他者からの評価が気になっていました。
しかし、本当にソコだろうか…と自分の心を見ていると私は他者の評価を気にしているのではなく、本当は自分が成功しなかった時に「自分が自分に幻滅する」事を恐れていたのです。そう、私は他者評価よりも自分が自分に「出来ない奴」とレッテルを張り幻滅したくなかったのです。私は自分と戦っていたことに驚きました。
しかし、よぉ~く考えてみると、その戦っている「幻滅したくない自分」とは誰なのでしょうか・・・。自分が自分をがっかりさせたくない?? その自分って誰??
「あれっ??」て自分で肩透かしにあったような気分でした。
幻滅したくない自分って、自分が作り出したイメージの自分です。イメージの自分って誰が作ったの? 自分です・・。グルグル回り、自分は「誰」で誰が誰のために身を守っ怖れを持っているのか分からなくなってしましました。
分かったことは「幻滅させたくない自分」は自分が作った幻想で実はどこにも居なかったと云う事。その自分の妄想の自分の戦っていたと言うことです。自分が自分の影を作り、影のプライドを満足させるために苦しんでいたのです。
結果、「私」という人は自分が勝手に思考で「私」と名付けて期待していただけで、「私」と云う実態はいなかったと云う事なのです。その時、初めて「私」と云う幻想から「ワタシ」が離れたのです。そう、私と云うストーリーからワタシが抜けだた瞬間です。
「私」とは実在しない存在なのです。
私の「分離した私」のストーリーから目覚め、分離していることに気付く旅はここからは始まりました。
その後は、中野晋作さん(非二元論の著者)のサポートを貰いながら分離から目覚める旅を進めています。これからは、時々その旅の話と戸惑いと経験を少しずつブログに綴っていこうと思います。
目覚めの旅のスタートにて。。