「私」と云う存在がワタシから離れた話を先日書きました。その話をもう少し続けてみようと思います。
そもそも、「私」と言っている上谷和美は何者なのか?
産まれたばかりの頃は自分を「上谷和美」だとは知りません。 成長過程で名前を呼ばれ、褒められることで喜びの波動が身体に走り、両親から怒られると悲しみや恐怖の波動が身体に走り、波動からの心地悪さで気持ちよいとか、不快だとかの記憶を持ちます。エゴの発生です。
そして、「私」は気持ちよい感覚はもっと味わいたいと思考し始めます。
怖れや悲しみの不快な波動は感じたくないと思い思考は不快な感覚から逃げれるような方法を生み出します。
思考はどんどん不快の波動からこの肉体(有機体)を守るよう知識と経験を付けていきます。
そして、この有機体に固着してこれは「私」として固有名詞を付け上谷和美と呼んでいます。
有機体は宇宙の中に存在する一つの生命体で宇宙の一部の存在です。思考の所有物ではありません。
しかし、波動に良し悪しを付けた時点から分離が始りだしました。
これは味わいたい波動で、これは嫌な波動で、これはやっていいことで、これはダメなことで、これは私の物で、あれは人の物で、人よりも良いものを持ちたくて、人よりも優秀な人材と言われたくて…など。
思考で起こった分離は、どんどん大きくなり分離の世界を作り出します。
そして、上谷和美と云う「私」がいます。
幼い頃から、沢山インプットされたルールがあり、気が付くと、この有機体は沢山の情報と経験から「私は危険だ」と思っている思考を元に観念がインストールをされた有機体になっていたのです。
そして、宇宙のエネルギーのワタシは思考で作り出した「私」を自分と信じ、自分が作り出した分離の世界が本当の世界なんだと信用していたのです。ここに気づいたとき、この幻想を暴き出したような気分でした。
今、起こっている世界は「私」の分離が作り出したストーリーの世界だったんです。
もちろん、このストーリーの世界にも意味があります。ワタシの意識エネルギーがこの肉体を使って体験をしているのですから。
でも、まずはこの現実だと思っていたものは幻想のストーリーで、私も思考が作り上げたイメージの人だったと云うことです。
現実の崩壊が始まりました。