私のBlogにようこそ。
私の目覚めの体験の続きを書きますね。
「今起こっていることに気づく」これが、目覚めへと繋がる道なのは知っていました。
『今に居る』ことは未来の不安や過去の捉われから離れることも知りました。
しかし、どうしてもワンネス(私は全てで全てが私)の感覚が理解できず、
また、心からの安心ではない違和感があり、
もう一歩、何か分かり切れない自分がいました。
そんな、ある日。
瞑想して自分に気づいていくことをやっていました。
深くふか~く、自分の気づきに気づく。気づきを見ていく。気づきを追いかける……。
今までも瞑想で自分を俯瞰することはありましたが、その日は、
俯瞰することすら投げやりな感じでやっていて、
自分に固着していない感じで、完全に今に居ることすら手放した感じでした。
そうしていると、力が抜けて自分と云う感覚が無くなり、観ている世界そのものだけが在る感覚になったのです。
その時に、あれれれれ~っつ! 感じを受けたのです。
自分が消失して自分の世界を眺めている感覚になったのです。
直観的に分かったのは、世界は私の外側にあったのではなく、私の内側に世界はあったと云う事です。
そして、その世界には不足は何もなく、すべてがソレしかなく、
私の感情すらテーブルの上に乗った一つのソレだったのです。
感情すらただ在るだけの世界を感じました。
自分の外側の世界が内側だったと知った感覚は、
いなりあげの袋の裏と表がひっくり返った感じです。
言葉にするなら、「世界は私だった」と云う事です。 こんな言い方、分からないですよね~(苦笑)
でも、その言葉がぴったりで、
世界が私で全てが私の中にあり、私はいない。私は私の世界そのものだから…。ということが分かったのです。
今まで世界は外側にあると思っていた私としては、「なんじゃそれ」って感じですし、
非二元の『私はいない』って言葉は、私が私から抜け出して自分を無くすのかと想像していたのに、
実際は自分をじっくりと見ていたら、自分が消えてしまったという体験になりました。
ワンネスの『世界は私。私は世界』も見ている私が外の世界の何かになってしまうのかと想像していたのに、
全く違っていて、すべてが私の内側にあったと言う事だったのだと、分かったのです。
目覚めの体験は、本で読んでいた私の想像とは全く違う。
目覚めとは、もっと難しいことを言っていると思っていたのに、
こんな事だったのぉ~って調子抜けしたような体験でした。
そして、私の居る世界が全く違って見えたのです。
今までは外側に世界があると思っていたから、外側の世界と戦っていたけど、
戦うものはなくなり、自分の内側の世界と共にいるだけでいいと分かったのです。
なんと云う事なんでしょう。。。。
その大きな体験をした後、
私の時間は丁寧にゆっくりと流れ始めました。
今までなら、急いでやり過ごしていた用事や時間を
『今ある時間』としてそこに寛ぐ、丁寧に味わう、その時間に没頭することが楽しくなりました。
一つひとつを丁寧に見る、食事を丁寧に味わう、動作を丁寧に動かす。
今のこの瞬間に居ることが心地よくなったんですね。
しかし、それと同時に私はバランスを崩しました。
なぜなら、今まではお金の不安や未来の不安、先の不安で
外の世界と戦い生き延びるために考え行動し、
自分や外側をコントロールしなければならないと思って動いていたのが、
それが、ここにきて、それらは全く不要だったと分かり、自分の重心を無くしてしまったのです。
私は何を目指してどっちの方向に向かって、
何を目標にして生きていけばいいのか分からなくなってしまい途方にくれました。
地球の重力が無くなり、バランスを崩し自分の重心がどこのあるのか分からない感覚です。
目覚め体験をしたものの、
バランスを崩した私はここから、更に自分に向き合う事になりました。
今日はここまでにしますね。続きは次回。