最近、人を見下したり、ジャッジをするタイプの人と一緒に仕事をすることが多いです。
もちろん、その人が人を批判する言葉や行動を見ていると嫌な気持ちになります。
そして、一緒に仕事をしているので自分もジャッジされないかと知らないうちに緊張しているみたいで、日々の疲れが溜まっている感じがします。
『ジャッジ』は今の私の大きなテーマのようです。
だから仕事の人間関係でも、急にそのような人が現れたり、それから自分の個人的な活動においても人の評価が気になったりします。
『ジャッジする人』を見て、そんなことをする人は失礼な人だと私も『ジャッジ』して心の中で怒っていて、そして、反対にいつも『ジャッジ』されるのを恐れて緊張しています。
私の切り離したシャドーは、ジャッジする人として私の前に現れて私に自分のシャドーを見せてくれます。
ああ・・、私の中にあった大きな『ジャッジ』をする心。
人を非難して、上下をつけて、自分を優位に思い、安心して・・。私は何をしているのかと思ってしまいます。
ジャッジする私がいるから、ジャッジする人を見せられる。
自分の世界は自分が作り出しているから、自分の中にある因子が現実(幻想)を作り出すのは当たり前ですよね。それをイライラしている私はなんと滑稽なことなのでしょうか。
要するに、自分の足を食べているタコのようなものです(笑)
そして、その私というのは実は幻想でしかない私です。
幻想(思考で作ったイメージ)の私が、その幻想の世界の『ジャッジする目』に振り回されて恐れを抱いています。それは『エゴの幻想VSシャドーの幻想』と云う事になっています。
このカラクリに気づけは、自然と何かは変わるのでしょうね。
私から見た相手も私が作った幻想であり、私であること。全てが私の一部であり単に気づきのステップの足掛かりであっただけなのだと。
全てがただ起こっていて、自分のなかにもあるものは、今はただ「あっていいのだ」と思えれば、ジャッジは消えてしまうでしょうね。
する人も、する心も、される恐れも。 全て何もない幻想だと気づくのでしょう。
それらは、自分が作り出した怖れの現象だと見破れば、何もない単なる出来事に変わるのでしょうね。