非二元的な見え方と現実の中で。


こんにちは。

桜も散り始め、たんぽぽや色とりどりの草花が咲き始め生命力の芽吹きを感じています。

会社では新卒採用の新入社員が入り、人事で人材育成を担当している私はやっと三週間の新入社員研修が終わり、自分の事に意識を向けれるゆとりが出てきました。

この週末は、ゆっくりと散歩をしながら草花をみて、野鳥を見て自分の呼吸を感じて、すれ違う人達の様子を見て、と、自分の五感や内側の感覚から「今」に触れていました。

その「今」に居ると、この身体が地球上にある全体の中の一つのものとして感じ、混じり合っていく絵の具のように融合していく豊かな感じがします。

そして、地球上にある一つのエネルギーが形の違う現れをしていて、それが有機体としてこの場を作っているパーツのような感じがします。

どれもが美しく共存していて、この場を作るのに必要な存在だと感じる事ができる幸せな時間です。

 

会社で仕事をしている時は交感神経がキリキリと活発に働き、呼吸を止めてパソコンを打ち、常に判断をして足早に社内を動き回り、身体を緊張させて呼吸を浅くして感情に触れないようにしている事に気づきます。

時々深呼吸しても、またすぐに浅い息で業務をこなしている私です。

それでも仕事は好きだから、その場にいるんだろうと私は思っているのですが、やはり意識して自分の身体と心を緩めて自分に触れる事をしないと、目の前のストーリーに巻き込まれ続けてしまいます。

時にはストーリーに巻き込まれて、もがいて疲れ果てている時もありますし、時には、人を批判して自分の醜さを突きつけられる時もあります。

 

心にゆとりがあり、ただそこに居れる時と、個人のストーリーに巻き込まれている時、このアンバランスさを感じています。

でも、それすらも「全部が私の表れ」なのかな。と思ったりもしています。

 

非二元からの見方と現実を体験している生活は、悟りを極めた仙人と平民のような差があるように見えるけど、両方があって両方が重なって一つになって「有る」ように思うのです。

 

以前は非二元を理解して、幻想から目覚めると生活が変わり苦しみが無くなるように思っていました。

でも、実はそうではなく苦しみがある生活も許していけるようになるのでは無いかと思うようになってきました。

 

だから、目の前の現実に振り回されて生きている「今」もあるし、少しゆとりを持って感じるスペースがある「今」もある。

そんな暮らしが非二元の考え方を取り入れた生き方のように思うようになってきています。

最近は非二元という言葉の受け止めかたが変わってきた私です。

では、またツラツラと書いていきますね。

またね。

 

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