思考を外すと見えてきたものは


こんにちは。今年の冬もあと少しの感じがします。梅の花の咲き出して、家の近くの隅田川沿いには赤や白の梅が綺麗です。

先日、また音楽療法のモニターをしたのですが、それが私にとっては貴重な体験となりました。

それは、思考の屁理屈を外して、今ある身体の内側の感覚に意識を向けて感じるままにしておくと、身体の中から自然と自己受容が湧いてくるような体験でした。

その体験は思考では生み出せない安心感で、自己一致した安心感もあり、それが許されている存在の安心感であり、自分という個人の次元を離れているような感じがしています。

 

ブログでこの体験を書こうと思うのですが、言葉にすると薄っぺら言葉になってしまい、上手く書けなくて結局ずっとウズウズしています。

 

この言葉には出来ない体験を通して今、私の感覚に残っているのは、

思考の枠を超えたところに本当の安心や受容があること。

思考から離れた時に、私は個人のストーリーから離れて一つの個性ある存在になること。

思考を外し、抵抗を外した時に次元は変わり、そこにある存在の全てがただ有るものとして受け入れて流れていくという安心感を味わえると言うこと。

今は、その体験をこんな風にしか書けない感じです。

 

探していたものは思考の中にはなかった。

探していたものは思考の枠を外した時に心で感じさせてくれるものでした。

 

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