だいぶんと涼しくなって、少々寒いって感じがする日も出てきました。
私の方は何か静かにしていたい気持ちで、モチベーションも上がらずゆらゆらと暮らしている感じがしています。
ここで考えているのは誰なのか?
私なのか、私が居なければ宇宙の起こっている出来事の一つなのか。
屁理屈が始まります。
またいつものように分かったかのように思考で理解を並べて、片付けてる感じがしているのです。
「ああ…そうか…」と腑に落ちたつもりになっても、そこを味わっていくうちにいつのまにか思考に囚われてて、腑に落ちたつもりのことがまたいつもの思考のグルグル巻きの中に入り込んでいくのです。
イメージで例えるとすれば、黒色の事に気付いてそれを理解していくうちに、いつのまにかまた白色になってる感じなんですよね。
やっぱり気付いた事を思考で自分に言い聞かせて理解している いつものパターンにハマっています。
そんな時に友人から「今のあなたの感覚はどうなの?」と問いかけられました。
自分の内側に触れると、不安感や焦りや言葉にならないモヤモヤ感が浮き上がってきます。
「でも、これは私の感覚じゃないから。私では無いから。」などと強がりを言ってみせます。
「誰の感覚でもいいんだけど、それは今のここで確かに存在していると感覚よね」と友人。
私はその言葉で何故か泣けてきました。素直になった涙なのかも知れません。
屁理屈で 『在るものを無かったもの にする』のでは無く、『在るものを在るものとして自覚する 』と言うことにまた立ち戻りました。
内側で起こっている感覚に敏感になる
外側の出来事や頭にフォーカスせず、お腹の感覚にフォーカスする感じ。
非二元などと屁理屈を言う前に自分の内側で起こっている感覚を自覚すると言う、本当に心理療法で言っている基本的なところに辿り着くのです。
個人を味わい体験し尽くし、起こることに従っていく。
体験を良いもの悪いものに分けず、そこに在るものを受け入れていく。
結局全ては内側に存在していて、それを自覚して受け止めていく。
感じることでなるものに従っていく。
その内側外側の『在るもの』全てが在るものとしてその場を作り出す全体性の流れの中にあると、この瞬間腑に落ちてます。
(この思考はそのまま手放しますね。またグルグル巻きになってしまうので 笑)
少しこんな風に感覚が変化してきています。