自我の主張


こんにちは。

最近色んな感覚に触れ始めたせいか、またまた迷い子のようになってて思考で整理しようとしたり、理解したくなったり、自我が激しく「私」と云うプライドを持ち出してきたりと、言葉では整理つかない感覚に至っています。

 

とても穏やかな気持ちで「全てはあるがままなのだ」と信頼できている時と、その感覚を全く忘れてスイッチが切り替わったように目の前に起こっている事に入り込んで気持ちが揺れ動く自分がいます。

 

先日も自分の不甲斐無さで落ち込み悔し泣きしました。

「なんでそんなことぐらい出来ないんだろう」って、期待通りに出来ない自分が情けなくて悔しくて…。

 

いつもお話ししている非二元の視点から云えば、その自分は居ないのだから、その自分のストーリーから目覚めて、起こっている感情をエネルギーとして流していく って云う事でしょう。

 

でも、その時の私は悔しくてたまらないのです。そんな事を言ってられないぐらいストーリーに飲み込まれていました。

まるで小さな子供のように欲しいオモチャが手に入らなくて、床に寝転がってバタバタと手足をバタつかせて泣きわめいている心情です。

 

「あれがないとイヤなの! あれが欲しいの!

あれがなきゃ私はダメなのー!」って言葉が出てくる感じです。

 

その言葉を出して感情のストーリーに入っていると、ふと、私はこうやって「私(上谷和美)」と云う人物像を『物』のように創り上げてきたんだなぁ って思えてきました。

 

自分が長年作り上げてきた「私」は、

可愛がられるような子 になれるように努力をして、

人並みに綺麗に見えるように美容に気を使かい、

学校からはみ出さないように勉強をして、

仕事を続けれるように努力をして、

そしてまた、私のイメージする『上谷和美』は、この事が出来るようにならなきゃイヤなの! って、手に入れる事をして自分のイメージする物を作り上げきた事に気付くのです。

 

私はエネルギーでしかなく、全てはエネルギーで繋がっていると分かってきたのに、自我は全くお構いなく自己主張をしてきます。

こうやって私は今までサバイバルを生き抜いてきたんだ。と私に語っているように。

自我は、その「私」にならなければプライドが許さない。人生上手く生きていけないと反発をしてきます。

 

ああ、そうなんだよねー。

そうだと信じて自分を作り上げてきたんだよね。

そして、今もその感覚を握りしめてる自我。

 

ありのままの自分を癒しながらも、それは幻想に振り回されてるよねって自分に突っ込み、そしてその感覚を味わう。

いや、もしかしたら感情にのめり込んでいるのかも。

感情にのめり込んでいるとまだまだ自我が浮き上がってくる感じです。

 

これもプロセスなんだろうなぁ〜と様子を見てみる。

ちょっと当分はこんな風に振り子のように行ったり来たりしそうです。

 

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