感情

4年ぶりのターニングポイントのゲシュタルトワーク

こんにちは。私のブログにようこそ。

昨日はゲシュタルトワーク『自分癒しの気づきのワーク』でした。

 

昨日の参加者さんは4年ぐらい前に、私のワークを受けてくださった方で、本当にお久しぶりの方が来てくれました。

4年前のワークの時、仕事で悩んでて自信が無くなっていた事をワークしたのです。

ワークでみんなから「頑張れ」って応援されて、背中を押され、そして彼女は精一杯ここまでやってきて、ひと山越えて自信ができたから、「そんな私を見てほしい」って言って来てくださったんです。

 

嬉しかったですよー。

4年前のワークが彼女のサポートになった事。

そして、頑張った姿を見せにきてくれた事。

 

4年ぶりにお会いする彼女は、とっても晴れやかな顔をして、上品な真珠のイヤリングとネックレスをして、真っ白なお洋服で現れました。

以前はジュエリーなど着けるイメージは無かったのですが、今回は特別に着けて来てくれたのかもしれません。その気持ちがまた嬉しいです。

 

「会いに来たよー! 頑張ったご褒美に会いに来たよー!」 と、彼女の第一声。

 

心に沁みます。

 

本当に有難いです。

 

お部屋で落ち着いてからゲシュタルトワーク開始です。

「どんな事をテーマにしたい?」と私。

「この3年間を振り返りたい」と彼女。

 

ワークは今、彼女の中に溢れてくる想いを一つずつ

丁寧に触れていきます。

 

「ここに居るのが嬉しい」

「3年間、本当に辛かった。でも、頑張ったよ」

「私、ダメ人間じゃなかった」

「生きてて良かった」

「自分によくやったと言ってあげたい」

 

溢れる涙は拭っても拭っても出てきます。

私も彼女の頑張ってきた姿に触れて涙が出てきます。

 

ワークではエンプティーチェアと言って、3年前の自分の座布団を置いて、今の自分から3年前の自分までの距離を見て、その間の頑張ってきた事、やり抜いてきた自分自身の道をしっかりと確認して、自己肯定感を味わいます。

そして、今の自分の座布団から立ち上がって、その自分の座布団の隣に立ち、もう一人の大きな視点の自分から、今の自分に労いや自分を褒める言葉を掛けます。

 

「よく頑張ったねー。お疲れ様ー」と、涙に声を詰まらせながら大きな視点から掛ける今の彼女への言葉。

 

十分に自分の頑張りを褒めて味わい、心を癒します。

 

気持ちが落ち着き、彼女に「気分はどう?」と聞くと、

「自分でも頑張った事は思っていたけど、声に出して言って、涙を流したら気持ちがスッキリしました」と教えてくれました。

 

そう、それが大事なんですよね。

一つずつの体験と感情を大切に味わい完結させていく作業。

そして、自己肯定感を味わう作業。

 

そして、彼女の身体が柔らかく動いていることに気づき、そこにじっくりと止まって貰いました。

そしたら、イメージが湧いてきたらしく、

「川を緩やかに上っている魚になっています」と教えてくれました。

それは、彼女のこれからの事を表しているようです。

ゆったりとでも緊張感を持って上っていく。。。

次のステップへのエネルギーが湧いてきたようです。

 

このように、今までの想いを十分に味わい完結させると、次の動きに自然とエネルギーが向きます。

これは、ゲシュタルトの完成と共に、

人間(有機体)が持つ成長していく力です。

 

ゲシュタルトワークは悲しみや問題ばかりを扱うのではなく、

このように喜びの感情を十分に扱ったりもします。

 

自分の身体が持っている力は、思考だけでは出てこないんですね。

感情は身体です。

身体から出る心の底から自分の気持ちを受け取ってみましょうね。

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コントロール出来ない感情

こんにちは。私のブログにようこそ。

最近、自分という存在はただ宇宙の流れが作り出した一つの現れで、思考も感情も同じようにただの現れで、それらを体験して気付いていく意識があるだけなのだと自分の理解が深まってきています。

そして、この肉体の記憶が傷(恐れ)を作り、それが投影してドラマを作り出していると理解してきています。

この理解は私のプロセスの中での理解なので皆さんと異なっているかも知れませんが…。

この頃、気づきの意識が本来の在りようなのだと分かりながらも、無性に私の個人的感情が騒ついて孤独感や自己否定感が湧き上がってきます。

その起こってきた感情は昔作った古傷が投影されて、そのような感情を生み出す思考がドラマを作っているのですが、それに気付きながらも、この感情は治まらないのです。

 

今私は、それを止める事もWhy?と追及することもせず、その心地悪さと一緒にいるようにしています。

ともすると、その感情に巻き込まれそうになったりする中、時々、溺れて水から顔を出して息が出来るような感じで、その感情と気づきの距離が保たれ安心してその感情を眺めることが出来ていたりして、揺れ動きながら、この身体の中にある孤独感と一緒にいます。

不思議なものですね、個人の概念を見破り、自分という個人はおらず意識だけが今あるものを体験していると分かりながらも、個人の概念の孤独感や疎外感はもの凄い勢いで今に襲いかかってくるのです。

自我が消失されることへの抵抗なんでしょうか。自我は「私は…」と主張してきますが、その在りようもコントロールせずに起こるに任せる時間を過ごしています。

ドラマを作り出している私と気づきの意識である私は本当にピッタリとくっつき合ったコインの裏表であり、体験しているこの時間はコインを立ててクルクルと回っている状態で一つの世界を作り上げているように思えます。

ようは、泥臭く落ち込んだり悩んだりするのも今あるがままでコントロール出来ないって事。

むやみにコントロールして、どうにかしようとせずにそれも今ある自然な事だと諦めて受け入れる事が今を生きることなんでしょうね。

今のあなたは悩んでいても、苦しんでいても、それはただ昔の古傷がそのように見せているだけだから、抵抗せずにその痛みのあるご自分の感覚と一緒にいてあげて欲しいなと伝えたくなりました。

それが、古傷を持った個の自分を癒してあげる事になるんですよね。癒しが統合へと進みドラマを作る投影は形を変えていくのだと思います。

 

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感情をありのまま受け入れるコツ

こんにちは。

久しぶりのブログです。

最近、ちょっと自分の中が静かになってきて一旦落ち着いている感じがしています。

いっときは新しい体験をしたり、新しい感覚になったら理解が深まったりして変化の波に飲まれていましたが、今は体の中に馴染むように静かに見ている感じです。

 

ただそこにあるものを体験し続けていることをやっています。

 

前回、感情を風景のように見ているお話を書きました。その事をもう少し書こうと思います。

 

「感情をあるがままに受け止める」とよく言ってますが、やってるようでなかなか出来ないものだと自分の経験から思います。

自分では許し難い感情や認めたくない感情が湧いてくると「なんでこんな事思うんだろう」と自分で自分の感情を分析したり、思ってくる事を否定したりしていました。

だって、そんな感情を持たない方が理想だと思っていたから。

 

これって、大きなクセモノなんですよね。

そこにも居た、理想の自分。

 

自分の理想も必要なくて、理想は妄想でしかなくて理想というゴールはないと知ると、そこに向く枠が外れて感情のコントロールも無くなっていくように思います。

 

そしてそれは、孤独感や恐れや悲しみの感情に触れないように自分をガードしていることが多いのです。

 

そこに触れてしまうと自分が壊れてしまいそうで触れずに見て見ぬフリをしてたり…。

壊れるのはプライドなのか、過去の傷に触れる痛みなのか。

 

その恐れを妄想してガードしていたのです。そして、それも妄想から離れてありのままの感情に触れて、それを味わっていくと感情のエネルギーは落ち着いて風景に変わっていきます。

 

そう結局、感情はエネルギーでしかなくて、ただそのにあるエネルギーなだけで、感情は私に何も被害を及ぼさない。

 

そんな事を思いながら、今まではコントロールしていた感情をやっとありのまま受け止めることが出来るようになったと思います。

 

ただ毎日、ここを体験している。

今はそんな静かな時間です。

 

どうにもできない イライラ感情

2018年明けましておめでとうございます。
今年もインフィニティー共々、よろしくお願いします。
今年もまた感じた事をツラツラと綴っていこうと思います。

新年早々ですが、今日は腹立たしい事があり、それらを通じて感じた事を書こうと思います。

ある出来事が気持ちに引っかかり、それが原因で湧き上がったイライラの感じと、相手を非難する自分がいました。私はその思考を眺め、「あぁ、ストーリーに振り回されてる」と気づきつつ、ストーリーから離れようとするけれど、やっぱり気持ちはイライラから離れられません。

怒りや感情の動きは自分の問題に向き合うチャンスなんだけど、気持ちはそんなことを言ってられなくて、ともかく批判的になっている自分を見ていく事しか出来ず、自分の切り離された部分を見つけるための作業など出来ないのです。

〝批判する思考″や〝思考からくる感情″ はストーリーと同一化していると分かっているけど、私の思考はコントロール出来ないし「ストーリーと分かっている」と言い聞かせて、自分を抑え込むのも単なる抑圧で違う気がするのです。
思考は『私』と言う有機体で単に起こっている事だし、その思考によって感情は沸き起こり結局、何にも出来ないことに気づくのです。

何にも出来ないから、感情的になっている自分と一緒に居るしかなくて、少なくとも今の現状から物理的に離れて自分の身を安心できる場に置く事しか手立てが無いのです。

イライラして頭のなかで文句を言って、気持ちが不安定な自分の状態をただ眺めて、その自分を許す。
自分という有機体に起こっていることをそのまま起こらしていく。

それが人間と言う有機体なんだなぁと感じているのです。

全てはストーリーと知って「同一化せずにストーリーを生きる」と本で読んだり知識はあっても、私を作り上げてる思考と感情はまだまだストーリーの中にいて、どうしようもない私を持て余しながら、その私を赦すスペースを作っていく事しか出来ないと感じています。
それら全てが今起こっている宇宙のようなものなのでしょうね。

私自身がもっと、思考も感情も身体も私のものではないと切り離しが出来るようになれば、こんな事も終わっていくのかも知れません。
その途上にいる今の私を素直に書いてみたくなりました。

きっと、同じような気持ちの人がいるだろうなぁ〜と思いつつ。

 

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詳しくはHPでご確認ください。