心理学

やっと腑に落ちた非二元の世界

春になってきましたねー。

ウグイスの声が聞こえ始め、鳴き方がまだ下手な声が可愛らしいです。

最近、やっとInstagramをやり始めました。

一緒に活動してくれているやぎさんの力を全面的にお借りして、今更ながらのチャレンジです(笑)

 

Instagramでは非二元の視点からもメッセージとして載せています。

実は最近、ひとつ深い気づきがありました。

 

私は今までは、非二元と心理学は二つの軸で別々のモノのように捉えてました。

心理学も人間として生きている私は納得するし、真理も有機体としての個を超えたところで、宇宙の在り方として興味深いものでした。

その二つがなかなか統合せず、別の視点で捉えざるを得なかったのです。

それは、真理を思考で理解しようとしていたからでした。

しかし、ある時、その二つの世界をシフトさせていく事、目覚めの事が体感として感じられたのです。

心理学と真理(非二元) が一本の流れにまとまり、私の信念として言葉にできるようになったと感じています。

なので、心理学と真理の事を同じように伝えたいと思ったのです。

分かってしまえば、「なーんだ、そんな事だったのか」ってとってもシンプルな事。

そんな事を、Instagramの短い言葉の中や、今後のblogでもお伝えできればと思っています。

 

これから、少し変化するかも知れません😊

今までより、より自由に『私』を表現したいと思っています。

 

良かったらInstagramでも検索してみてくださいね。

uetanikazumi で検索できます。

 

心理学と非二元 どちらも必要

こんにちは、Blogを読んでくださりありがとうございます。

このブログは私の自己探求の気づきや、

私の活動をアップしています。

 

自己探求って、

多くの方が「私とは?」と自分に問いて自分探しをしたり

この世で生きる理由を探したり

自分らしく生きることを求めたり

魂の学びがあるのではないかと探したり

もしかしたら、生きづらさや自己否定から解放されたくて、ここにいる価値を探したり

様々な思いでやっていると思います。

 

私は自分の生き方の問いかけや、

安心して生きることってどんなことなのか、

自分の癒しを求めて自己探求を始めたように思います。

 

心理学を学び、講座にも参加し知識を得て、

自己ワークも沢山受けて自分の癒しをやってきました。

だけど、いつまで経っても終わらない…。

自分の中にある寂しさや不安、過去の問題、トラウマ、孤独感。

心理学で自分の掘り起こしはできるけど、

分離の感覚はどこまでやっても無くならないものです。

 

私が気付いたのは、

本当の癒しは心理学だけでは終わらないってこと。

心理学で自分に起こっていることに気づき、自分にじっくり向き合うことができるようになってから

そんな自分が居てもいいのだと、

ただあるがままに安らぐこと。

それは、心理学を超えて真理(非二元)の世界に入ります。

 

宇宙や自然がここにあるように、

心の波動や感覚も同じように「ここにただあるだけ」だと気づきます。

心理学は人間という有機体を対象に分離の世界で癒しを求めます。

しかし、分離の世界は分離の世界なので分離の感覚はなくならないのです。

心理学から真理(非二元)の世界に入り、分離から統合の世界で自己を癒す。

そこは無抵抗で安らぎがあり、ただ寛ぐ空間があります。

 

自己を癒すには二つの世界が必要だと感じています。

心理学と真理、二つのものが一つになった時に、やっと私たちは解放されるのです。

安心と寛ぎがそこにあります。

 

それを体験するのが物質世界の地上にあります。

だから、逆説的だけど物質世界の心理学も必要になるのです。

 

 

 

凡人の非二元の探求の始まり

こんにちは。

ブログを読んで頂きありがとうございます。

このブログは自分が辿っている非二元のストーリーや心理学を使って理解する自分個人の内側の感覚などをつらつらと綴っているブログです。

非二元と心理学 …、近いような遠いような、不思議な関係です。

私は心理やセラピーを学んできたのですが、3~4年前に「非二元」や「目覚め」さ「悟り」と言うものに興味を持ち出し、その領域を理解したくて学びが始まりました。

それはなぜかと言うと、心理学で幾つかのセラピーを通して自分を見ていたけれど傷はいつまでも癒えず、過去の体験や自分が握りしめている傷や両親との関係を何度ワークをしても終わらなく、セラピー自体に限界があるように感じたからです。

その後、宗教や思想的な本も読みましたが、答えは見つからず、人間のドラマを超えたところに癒しがあるのではないか。と思えたのです。

 

それは魂の癒しではなく、「魂」と言う、その個別なものも超えたところに真理があり、心理学や宗教を超えた癒しがあると感じていたところに、非二元の話を知ったのです。

 

非二元や悟りの事を語っている人は多く、みなさんがご存知の方々がいらっしゃいます。

どの方も至高体験をして、そこから世界観が変わり多くのことに気づき語ってくれています。もしかしたら、悟りや非二元の理解は至高体験をしないと分からないのかも知れません。

私としても出来る事なら体験してみたいと言う興味はあります。(笑)

 

でも、もしかしたら「非二元のストーリー」や「悟り」や「目覚め」と言うものは至高体験をしていない人でも理解出来るのかも知れません。

(理解するものではないんですけど、感覚が掴むような感じ? 言葉では上手く説明が出来ないので  理解  としておきますね。)

 

誰でも気付ける領域なんだろうなぁと思い、至高体験もない私が心理学や宗教を超えた、そして個を超えた世界を覗き見ようとしている感じがしています。

このブログは、そんな凡人な私の気づきの体験を綴っているようなものになっています。

 

私は普通の会社員で企業で働き、週末はセラピストの活動や学びを行い、そしてそれらの実生活を非二元の視点を学びながら生きていく。

それが、実生活を送っている個人を癒す作業をしているように思います。

 

なんとなく、ふと 今日は自分の在り方を書きたくなりました。

また、ぼちぼちと凡人が辿っている 〈非二元の理解への道〉を綴っていきます。

多分、気付きは蛇行しながら深まったり腑に落ちたりしていくのでしょうね。

そんな私の独り言綴り、これからもよろしくお願いします。