非二元

思考で片付けてしまいがちな感情

こんにちはー。どんどん日差しが強くなってきましたね。

もうすぐ梅雨に入る感じですね。

最近、夜中に目が覚めて眠れなくなることがあります。

考えが湧いては流れ、また湧き上がりグルグルと回り出します。

こんな時、思考を眺めていると次から次へと止めどなく湧き上がるのを目撃します。

思考もコントロール出来ませんので、思考が起こっていることを眺め、体の外側で起こっていることを眺め、そして体の内側で起こっている感覚を眺めてやり過ごしています。

思考と気づきの意識が離れて自分という一つの存在を見ている時間になります。

 

思考が織りなす分析や想像の世界を横に置いておくと、ちょっと間違えてしまうのが「今、感じている感情」も横に置いてしまうことではないでしょうか。

これは私がやってしまいがちなんですが…(笑)

沸き起こる感情を「ただ起こっていること」と分かったような言い訳をして、感情に触れないようにしていたりする事が往々にして私の場合はあるんですよね。

 

感情に寄り添わず、分かったつもりのすまし顔で「そんな感情があるのね〜」って気付くだけ。感情の放置です。

そんな時、ワークを通じてその感情をじっくりと味わい自分の体の中にある感情の波動を受け止めることをやってみます。

そうすると、この作業がどれだけ癒しに繋がるのかを実感し本当に心から安心感を味わいます。

 

この思考が持っている観念や思い込みは、この体の経験を通して自分を守るために作ってきたルールなので、そこに触れた時に私の感情は波打ちます。

それは悲しみだったり、寂しさだったり、恐れだったり味わいたくない感情なので、それらの感情の再体験をしないように観念を作り私を守っています。

 

この観念はストーリーの中にあるルールだけど、今を癒していくにはストーリーだと知っていても向き合う必要があるのだと思います。

もしかしたら、ストーリーだと知っているから向き合えるのかも知れません。

その観念や経験が本当の事なんだと思っていたら、向き合うのさえ怖くて見ないふりをしてしまうと思います。

 

ストーリーが作り上げたルールを少し離れた意識から観察しながら、ストーリーの中に入り込んで味わい受け止めていく。

上手く言えないけど、最近はどっちの世界も行ったり来たりしている感じです。

と言うか、どっちも近くなってきた感じですね。

ストーリーだと知りながら、ストーリーから作り出した感情にしっかり向き合う。

 

最近の私の興味はここにあります。

ストーリーと知りながら、ストーリーに向き合う。それは 、この身体が五感で感じている「今」の瞬間の真実の感覚だから。

 

癒しは思考の中に無くて、「今」の中に見出すことが出来ると思います。

 

 

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インフィニティーとして活動しています。

ゲシュタルトセラピーワークや個人カウンセリングを行っています。

▪️ゲシュタルトワーク 毎月開催

今後の予定: 6/22 , 7/20 , 8/24

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今後の予定: 6/23 , 8/25

詳しくはHPをご覧下さい。

 

 

 

 

 

 

 

非二元とゲシュタルトセラピー

こんにちは。

GW真っ只中、皆さんはいかがお過ごしでしょうか。

後半になってお天気も良くなり、散歩していても気持ちがいいです。

新緑の木々が太陽照らされ、葉が風に揺られ子供の声が聞こえてきます。

私はのんびりとカフェで  ここに居る  感覚を味わい、「私は今何に気付いていますか?」と自分に問いかけて丁寧に自分の身体の内側と外側の出来事にコンタクトをしてこの場を過ごします。

この問いかけはゲシュタルトセラピーで使う問いかけです。

 

私はセッションでゲシュタルトセラピーを使っています。

非二元と云う分野を追求していくと、ゲシュタルトの関わりや考え方は非二元にとても近いと思っています。

ゲシュタルトの場合、人間を有機体と捉えていて、その有機体は心地良く生きていく方法を知っていて、その力を持っています。

体の中で何かを欲求すれば、それに気付き欲求を満たし、外側の状況は身体の五感を使って察知し、それに合わせて対応をして自分が心地よく生きる方法を選びます。

外部領域と内部領域にコンタクトをしていれば迷いなく生きていくのですが、人間の場合、中間領域と云う思考が働き始めます。

中間領域の思考とは過去や未来の想像をしたり善悪をつけたり評価をしたり、人から教えられた価値観を取り入れたりと、体験とは違う想像の世界です。

その想像の世界が自分の本当に表現したいことを止めてエネルギーの滞りを起こしています。

例えば、感情も身体の中で沸き起こる大切な表現の一つです。

怒りたいのに怒ることを我慢したりする事は誰でも経験があると思います。

怒りは自分を守るための大切なエネルギーです。自分を守るためのエネルギー(戦うや逃げるなど) で外に出るエネルギーですが、外に出さなければ内側に留まり自分を傷つけます。

自己否定、自傷行為、自己の抑圧、ありのままの自分ではいけない感覚。

 

だから、自分の身体の内側で起こっているエネルギーをありのまま感じて表現してもらう事で次のプロセス(解決)へと自然と自ら流れていくのです。

 

非二元と何処が似ているかって言いますと、

その起こっている感覚をじっくりと感じる事で、自分のありのままを受容し思考が勘違いして作り上げたアイデンティティの自分を見つけ出し、受け止め癒していける事です。

全ては一つだと言いながらも、自己のアイデンティティを受け止めず否定していては一つにはなれず分離を作り上げていきます。

自己の分離はいつまでも外側の分離を生み出します。

内側で沸き起こる感情や痛みを受け止め癒す事で、自分の分離を無くしていき自分が作り上げてきた自己のアイデンティティに気付きます。

そして、それは自分だと勘違いしているアイデンティティだと気付き、それを守らなくてもよくなってくる感じがするのです。

そう、『自分』と云う同一化から離れることが出来るチャンスだと思うのです。

 

私は非二元と言われている世界を探求しながらも、人間臭い日々のドラマが好きです。

非二元を知れば苦しみは無くなり愛だけが残るのではなくて、日々の日常は繰り返されていて苦しみや悲しみや怒りや嬉しさがある人間臭さが同時に起こっていて、それがある事を許されたり受け入れられたりしていくと思うのです。

本来なら幻想の世界なんだけど、それでも今この瞬間に感情が湧いてくる肉体が有り、ある事を許していく。知っていく。

在るものを無いものにしない。全てあって良し。全ての感覚をこの意識が体験している。

 

その体験が自己同一化から少しずつ離れ、幻想のストーリーを作らなくなるように思います。

そんな風に今は捉えています。

そんな観点から見てゲシュタルトは私にとって役立つ療法になっています。

 

良かったら一度、ゲシュタルトセラピーを体験しに来てみてくださいね。

また、おいおいゲシュタルトを通しての非二元に通じる私の感覚を書いてみますね。

では、またね。

 

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ワークショップや個人カウンセリング(フリートークルーム)を行なっています。

HPのワークショップのご案内をご覧下さい。

 

 

凡人の非二元の探求の始まり

こんにちは。

ブログを読んで頂きありがとうございます。

このブログは自分が辿っている非二元のストーリーや心理学を使って理解する自分個人の内側の感覚などをつらつらと綴っているブログです。

非二元と心理学 …、近いような遠いような、不思議な関係です。

私は心理やセラピーを学んできたのですが、3~4年前に「非二元」や「目覚め」さ「悟り」と言うものに興味を持ち出し、その領域を理解したくて学びが始まりました。

それはなぜかと言うと、心理学で幾つかのセラピーを通して自分を見ていたけれど傷はいつまでも癒えず、過去の体験や自分が握りしめている傷や両親との関係を何度ワークをしても終わらなく、セラピー自体に限界があるように感じたからです。

その後、宗教や思想的な本も読みましたが、答えは見つからず、人間のドラマを超えたところに癒しがあるのではないか。と思えたのです。

 

それは魂の癒しではなく、「魂」と言う、その個別なものも超えたところに真理があり、心理学や宗教を超えた癒しがあると感じていたところに、非二元の話を知ったのです。

 

非二元や悟りの事を語っている人は多く、みなさんがご存知の方々がいらっしゃいます。

どの方も至高体験をして、そこから世界観が変わり多くのことに気づき語ってくれています。もしかしたら、悟りや非二元の理解は至高体験をしないと分からないのかも知れません。

私としても出来る事なら体験してみたいと言う興味はあります。(笑)

 

でも、もしかしたら「非二元のストーリー」や「悟り」や「目覚め」と言うものは至高体験をしていない人でも理解出来るのかも知れません。

(理解するものではないんですけど、感覚が掴むような感じ? 言葉では上手く説明が出来ないので  理解  としておきますね。)

 

誰でも気付ける領域なんだろうなぁと思い、至高体験もない私が心理学や宗教を超えた、そして個を超えた世界を覗き見ようとしている感じがしています。

このブログは、そんな凡人な私の気づきの体験を綴っているようなものになっています。

 

私は普通の会社員で企業で働き、週末はセラピストの活動や学びを行い、そしてそれらの実生活を非二元の視点を学びながら生きていく。

それが、実生活を送っている個人を癒す作業をしているように思います。

 

なんとなく、ふと 今日は自分の在り方を書きたくなりました。

また、ぼちぼちと凡人が辿っている 〈非二元の理解への道〉を綴っていきます。

多分、気付きは蛇行しながら深まったり腑に落ちたりしていくのでしょうね。

そんな私の独り言綴り、これからもよろしくお願いします。

 

 

 

 

中野真作さんのリトリートで変化する味わい方

こんにちは。

先日、また恒例の中野真作さんの東京開催リトリートに参加してきたので、その時の感じた事を書こうと思います。

 

この数回、連続して参加していて「いい加減参加もどうかなぁ」と思うところですが、やっぱり中野温泉のエネルギーに浸かりたくて今回も参加してきました。(^^)

 

回数を重ねるごとに自分の理解が深まっているのか受け止め方が変わってきています。

今までは中野さんの言葉から目覚めるためのヒントを貰おうと言葉を拾って理解をしようとしていました。

でも、今回は中野さんの言葉を拾うのではなく、自分の内側に上がってくる感覚を味わって自分と一緒にいる感じがしていました。

中野さんの言葉に頼らず、自分の感覚への信頼が出来たきたように思います。

 

言葉を聞き流しながら、その場に起こる感覚や事象を味わい自分の身体から沸き起こる事を信頼する。それが今、必要な気づきだと安心している感じです。

 

そこに居ながら感じたのは、

この場で起こっている 〈出来事 〉や 〈考え方 〉や 〈在り方 〉の全てがそのままで在って良くて、良い思いも悪い思いも無くて、ただ存在している状態で、私のこの感覚すらも今ある状態の一部だと言うこと。

そして、その感覚が続いていく、それが今を作っている全ての構成要素なのだという事を深く味わっていたように思います。

 

「感情も考えも自分の内側にあるのではなく外側にあるもの。その事に気付いている」と中野さんが仰られたのを聴いて、その言葉を味わっていると私の感覚は何も無い感じになり、存在だけがある感じで自分の存在が『気づきの意識体』のように感じられました。そして、存在を許されている安心感を味わってました。

 

今まで何度も中野さんの同じ話を聞いてます。でも、言葉を追いかけなくなった時に、身体に沁みわたるように理解が深まり、自分の感覚と絡み合い今までとは違う安心感や理解の深さがあったように思います。

 

また一味違った中野さんのリトリート時間となりました。

 

 

 

 

第3回目の非二元好きな方のお茶会をしました

先日『非二元好きな方のお茶会 3回目』を開催しました。

 

お茶会なので、その日のお集まり頂いた方々の話の流れでどんな話になるのか分かりません。特にテーマも決めず、そこで沸き起こった話がその場に必要なお話しとして流れにお任せする感じで進んでいきます。

 

今回、ご参加頂いた方は至高体験をされた方ばかりでしたので、話の流れは至高体験後の生き方や非二元を自分なりにどのように生活に取り入れているかと云うような流れになりました。

 

お話をしていると「非二元」の視点は人それぞれ受け止め方が違うんだなぁと感じます。

そして、それであっていい感じがします。

その人なりの非二元のストーリーを受け入れて、その視点を持って生き方を作っていく。

 

その生き方が心地よく「今」に存在していることが貴重なのだと思うのです。

その生き方の『今』をシェアをする時間となりました。

 

幻想と言われている目の前に繰り広げられている現象を受け入れ、身体の中で起こっている感覚も受け入れ今を生きる。

切り離された「個」の恐れを感じながらも、大いなる存在の一部である事への信頼とその確信に触れたときに「愛」が溢れ出る感覚。

「愛が溢れ出て堪らない」と教えてくださったのは参加者さんのお言葉です。私はまだその感覚が分からないのですが。(笑)

 

非二元のストーリーは人によって様々な視点があるとも思います。私にとっての視点はストーリーの真実ではなく、在り方の知恵のように思うのです。

そして それが、今生きる心地良さに繋がると思うのです。

 

また、お茶会はやりたいと思っています。

今度はどんなお話が繰り広げられるのか、皆さんと非二元を取り入れた生き方を語り合うのが楽しみです。

 

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静かな時間を過ごす

こんにちは。寒くなったり少し日差しが暖かく感じたりの繰り返しですね。

最近、休日は予定を入れずに散歩をしていることが多いです。

私は会社員なので平日はフルタイムで働いていますが、以前は土日になると毎週のようにワークショップを入れていたものでした。

少しでも何かを知りたいとか、自分をもっと探りたいとか自分の中にある傷を癒したいとか、新しい経験をしたい、そんな思いで色んな種類のワークショップに参加していたものでした。

 

でも、最近はワークショップに参加して何かを学ぶよりもゆっくりと自分の内側を感じる時間を作ったほうが大切なように感じて予定もなくブラブラと赴くままに散歩をしている週末が多くなりました。

あんまり考えずに、皮膚から内側の感覚に意識を向けて自分の中で起こっていることに気づいていく一人ワークをしています。

考え事をしている時は考え事をしていることに気づく。気持ちの動きに気づく。身体の感覚に気づく。

考えないワークです。(笑)

 

でも、先日朝起きてその日もスケジュールなく、布団の中でボーとしていたら、その日はミョーに不安が湧いてきたのです。

不安が湧くと言うより、胸の奥がザワザワと疼く感じ。

それは、言葉にすると「何も予定が無くブラブラしているだけでいいのか」と成果を上げていない自分への不安感や、友人と全く関わっていない取り残された不安感だったりしています。

その不安感って不要だと理解しているのに、身体ではザワザワと心地悪さがあるんですよねー。

それらに気付くと、自分が今までそれらの不安から逃げるために沢山のワーク時間で時間を費やして紛らわしていたことに気づかされました。

 

それらの感情は私の個人的なエゴのエネルギーと分かりながら、でもこの体の中で発生してあるエネルギーとして受容していく時間。

まったりと休日の朝に布団の中でまたまた一人ワークです。

今はそんな熟成期間なのだと思って過ごしています。

 

何もせず静かに内側を空けていく大切な時間。ただ流れに乗って満たされていく事を信頼する。

私のワークが変化してきています。

 

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インフィニティーでは非二元好きな方のお茶会をします。

ご興味のある方は是非ご参加ください。

案内はこちら

第3回目 非二元好きの方のお茶会

 

 

 

 

 

 

 

 

魂と魂が触れ合っていく

こんにちは、この週末の三連休に私がやっているゲシュタルト療法のファリシテーター集会があり参加してきました。

 

ゲシュタルト療法は、その人の在りようを信頼してその人がその人らしく生きていく事をサポートしていく療法です。

自分の感覚に気づいていく事をするだけでクライエントは自ら問題解決へと進んでいく事が出来ます。

 

そのファシリテーターの学びの中で、とても貴重なそして豊かな体験をしました。

それは、カウンセラーとしてクライエントに向き合うのではなく、一人の人間として向き合う大切さです。

 

カウンセリングの場では、どうしてもクライエントと向き合うのはカウンセラーとしてだったり、セラピストだったりと癒し手のマインドを持ってしまいがちです。

でも、今回体験したのは癒し手ではなく、一人の人として自分に正直にクライエントと一緒にいる事。クライエントをジャッジせずありのままの在りようを一緒に感じ取り自分の中で起こっている事を正直に伝える事。

クライエントを癒すのではなく、クライエントの内側で起こる事を信頼してその場に一緒にいる事という事でした。

 

ファシリテーターとは癒し手ではなく、カウンセラーでも無く、クライエントが自分の内側に気づいていくことをサポートする人という事です。

 

その事を胸にファシリテーターとしてクライエントに向き合うった時、私は目の前にいる人が真摯に自分に向き合っている姿の美しさに感動して涙が止まりませんでした。

今までも多くの人と向き合ってきましたが、こんな風に感動に震えることは初めての体験です。

私も正直にその場にいて、クライエントも正直にその場にいて自分の感覚に触れていく。お互いが剥き身になって美しい魂となり、その魂のふれあいのように感じたのです。

その静かなる魂と触れ合いの中でクライエントの内側から自然と変化が起こり、自ら新たな方向を見つけ出していきました。

言葉の無い、静かな時間の豊かさ。

 

相手を信じ、自分を信じ、その場を信じる。

その時に共鳴する力。

その魂同士の触れ合いが、サポートになっていく事を体験しました。

 

人は全ての人が自分で生きる力を持っている。自分と起こってくるその場を信頼する。

信頼できない自分が出てきたら、その不安感や脆さも正直に気づいていく。

 

それは、結局 非二元のストーリーの中でも言われている事なんですよね。

全て起こっている事に気付いていく、受け入れていく、脆い自分の感覚を許していく、何も排除するものは無く、全てが在る事気づいていく。そして、その場に居る。

 

その入り口をゲシュタルト療法を使って触れることが出来るんだろうと思います。

愛を持って正直でありたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

妄想ストーリーもそこにあるもの。

明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。

と、言いつつ既に仕事も始まっています。(笑)

今年の年末年始は長期休暇が取れたのでニューカレドニアに2週間滞在していました。

キッチンの付いたホテルだったので自分でご飯を作り、身体を整えるためにウォーキングをしたり、本をゆっくりと読んだり、海辺で過ごす人達を見ていたりと普段とは全く違う時間の過ごし方をするのが目的で行った休暇旅行。

今 そこに有る 海の色や 花の色や 木々の色や、風の音や 波の音や 鳥の声や、身体の感覚、緩んでいく心の感覚 、普段の生活では見落としている自分の五感の感覚を丁寧に感じていく時間でした。

だけども、一つ私の心の中に気掛かりなことがあったんです。
日本を出発する前日に仲の良い友人と少々気まずくなるように出来事が…。

現地に着いて、ニューカレドニアの美しいこの景色の中にいても気持ちがそぞろ。

お互い連絡は取ってるけど、私の気持ちは不審感や不安が満載。現地で体験している事よりも頭の中の妄想の世界の方が大きく気持ちを占めているんです。

自分で妄想を手放そうと思うけれど離れないんですよねー。
身体はニューカレドニアでも心は日本。
こんなに素晴らしい景色や時間の中にいるのに…。
自分でも呆れてしまうぐらい気になってるんです。

綺麗な海を見ていても目は開いていても考えてるし、ゆっくりと寛いでいる時間なのにメールを気にしてるんです。

思考では妄想と分かっているのに心情は安心を求めているんです。

結局、その妄想は完全に私の思い込みで彼女は全くそんなつもりは無く、本当に私の単なる妄想ストーリーだったのですが、思考の妄想ストーリーの恐ろしさを思い知りました(笑)

今、どれだけの素晴らしい体験をしていても、私達は妄想ストーリーの方が上回り、その世界の中に入り込んでしまうのかも知れません。

勿論、妄想ストーリーは自分が作り上げた予想や記憶。

そんな自分に気付きながら、自分の揺れ動いている心情も今あるエネルギーも今の私に有るものなのだと感じていく。
そうなっていることを許していく。

綺麗な景色と、優雅な時間と、不安定な心情とごっちゃになって ここにある事を味わっていく。
全てがそこにあるものとして受け止めていく時間。

そんな旅行体験でした。

今年はどんな事が起こるのか、今年も日々の感覚を綴っていこうと思います。
今年もよろしくお願いします。

✴︎✴︎✴︎お茶会のお知らせ✴︎✴︎✴︎✴︎

非二元好きの方のお茶会を開催します。
■日時 :2月24日(日)  13:00-16:00
■場所 :東京都墨田区ビックシップ

詳しくはこちらでご確認ください。

ご興味のある方は是非!

第3回目 非二元好きの方のお茶会

第3回目の非二元好きの方のお茶会を開催します。

非二元やノンデュアル好きな方が集まって普段出来ないお話をしましょう!

自分の日々感じていることや、自己体験、多くのものを通りして学んでいる事、目覚めていく学びの体験など、お互いの目覚めの探求をシェアし合いましょう。

シェアする事で自分の中にある目覚める力が深まっていく場です。

 

ゆったりお茶をしながら、皆んなで語り合いましょう。

■日時 : 2/24(日) 13:00-16:00

■場所 : 東京都墨田区ビックシップ 2階和室

■参加費 : 1500円

■お申し込み先 : インフィニティー 上谷和美  http://infinity-sp.com/mail.html

 

インナーチャイルドの癒しは必要?

こんにちは。

いよいよ寒くなってきました。年末になってきましたね。

 

今日は「感情」をテーマにもう少し深めて書いてみようと思います。

 

ネガティブ感情が出てきた時、インナーチャイルドを癒すと云う言葉をよく使っています。

私もインナーチャイルドを癒すワークを沢山行ってきました。

今思うと、インナーチャイルドを癒すという事に違和感を感じています。

 

そもそもインナーチャイルド自体、存在しないのに自分の中にそのような偶像を作り上げて本来の自分と分離させている事や、インナーチャイルドを癒すと称して自分に素直になる事を誤魔化していると思うようになりました。

それが、更に分離の世界を作り出しているように思うのです。

 

イメージの世界を作って自分が感じている感覚を具現化してストーリーの上塗りをしている感じ。

そうすると感情を受け止める時もズレが出ていたように私は思います。

 

「インナーチャイルドの感情を癒す」と言っていた時は、インナーチャイルドの感情を受け止めるのではなくてインナーチャイルドが傷として持っている状況を理解して、「だから私は寂しかったんだな」って感じで自分の内側の出来事を理解して終わっていたように思います。

根幹の感情を受け止め、感情に寄り添う事までしていなかったのです。

理解することは単に知るだけで、傍観している感じ。

寄り添うことは存在を受け止める事。

 

理解は結局必要なく、感情を素直に受け止めるだけで良かったのだと今更ながら気付いたりしました。

 

インナーチャイルドと言っている事は、過去の幻想から作られたイメージの世界が強化され、今感じている感覚から離れ理論で誤魔化かされていくように思うのです。

 

感情を受け止める事を自分に許す事が出来るようになるとインナーチャイルドの概念も不要になるようです。