エネルギーの流れが違う意識の視点の安心感


こんにちは。私のブログにようこそ。

日々の気づきを綴っています。

 

私は毎日瞑想をしているのですが、瞑想をしていると様々なTO DO リストが浮かび上がってきます。

それはそれで、湧いて出てくるものなので眺めているのですが、その時の私の心はザワザワと落ち着かない事になっているのに気づきます。

そのザワザワ感をコントロールせず、考えないように強制することもせず、起こっていることをそのままにしていると、ザワザワ感は「ザワザワしててもいいんだ」と云う安心を感じて少しゆったりする気がしてきます。

そして、そのまま寛いでいると、私はこれらの「やらなければならないこと」を急いで処理して一日を過ごし、安心しようとしている事に気づきます。

その安心とは、自分の責任を果たす事だったり、自分の欲求を叶える事だったり、自分がこの世で生きていくために作る立場のためであったりと、社会的に何かをやっている事が安心になるようです。

『今』に寛ぐ事が一番安心だと思いながらも、その思考は手放せないようです。

 

そして、それらの思考を持った私が『今ここ』の場にいて起こることを体験し続けている。

その体験をし続けていると、ゆったりとした安心感が奥底の方から湧き上がってきます。

その安心感はTO DOリストを処理する安心感とは異なった、広がりのある感覚になります。

日常の生活の現実とストーリーから意識を広げた次の視点の安心感の違い。

 

言葉では言い表されないけど、TO DOリストを処理する安心感は身体を硬くしていく感じで、意識を広げた視点の安心感は身体の感覚が無くなるような柔らかさを感じます。

この身体感覚の違いは面白いです。

この身体の違いはエネルギーの流れのスムーズさやスピードにも影響するように思います。

ただ寛いで安心してそこにいる。

 

そして、TO DO リストは急いでやらなくても、処理する必要な時に自然とそのような状態になって、この身体が動いて処理を始めるんだろうなぁとも思います。

それが日々の生活の流れなんでしょうね。

 

起こることに任せて、あるがまま。

 

本を読んで知識で理解するよりも、体験から自分の身体でエネルギーの流れを感じると自分なりの「ああ、そうか」が出てきますね。

今日の瞑想から、ふと思ったこんな事です。

 

 

 


SNSでもご購読できます。