「夢」から覚めて『今』にいる


こんにちは。

新型コロナウイルスもそろそろ終息し少しずつですが、以前と違うながらも日常生活を取り戻せそうな兆しが見えてきましたね。

この変化の時に新たな活動を見つけたり、新たな自分の変化に触れたりしている人が多いようです。

私もこの約二ヶ月、不思議と気づきが深まり変化を感じており、自己探究として答えを求めていた非二元的思考も私なりに腑に落ちるところに来ているように思います。

それは、非二元を素晴らしい世界で憧れの世界として捉えていたけど、実はそれはとてもシンプルでタネを明かせば夢から覚める程度の事だったって事です。

夢から覚めるって言うのは、何かを理解すれば非二元の世界に達するのでは無く、私たちは常に非二元の「あるだけ」の中にいて、思考がドラマを作り上げて「夢」を見ていたって事です。

夢から覚めて、そんなことに気づいています。

夢から覚めてみると残るのは体験者と気づきだけでした。私個人もおらず、私の周りの環境もただそのように在るだけで、時間の概念もなく、宇宙のエネルギーの現れがそこに立ち上がっているだけ、それを五感で気づいていく。ここにあるのは体験者と気づきの意識だけだと分かります。

全てが「ただ在る」今、思考も感情も音も風も心地良さも心地悪さも悲しみも悔しみも痛みも感触も見えているものも、全部が自然に起こっているんだなぁと思います。

私の身体も自然の一つで気づきに意識を向けると、この身体も宇宙を作る全体の一つなのだと感じます。

そして、そんなシンプルさに止まることができず、様々なドラマを作り複雑化しているのは、この身体には生物学的に「記憶する」と云う機能が備わっているからです。

この記憶が二元の世界を作り出すのです。

生物学上、この肉体には身体を守るための防衛本能や他者よりも優位になって生き残ろうとする闘争本能があります。

だから非二元の世界にいながら、私たちの身体の中では記憶が二元の世界を作り出しているのです。

これがドラマです。

そして、これすらも自然に起こっている「あるがまま」なのだと思います。

だからどちらの世界も在る。人間として肉体を持って体験している限り、どちらかに一方になるのは無理なんだと思うのです。

人間としての二元の世界も「在る」世界。

そして、それは全て在っていいと云う非二元の中に抱腹された二元の世界。

ここでパラドックスは起こっていきます。

まぁ、なんとなく分かってきたのは、全部今まで通りこのままであっていいって事。

そして安心してここに居るってこと。

思うのは、この身体の感覚が心地良いとか面白そうとか、楽しいとかを感じれることをただ楽しんでやっていく。

もちろん、嫌なこと、辛いと思うこと、腹立たしいこともお天気のように自然と湧き上がりますが、それも自然に湧き上がってくるドラマだと見抜いて、ドラマの世界を味わっていくことで、それを受け入れていくこと。これが自然でいる事なんだと思います。

目の前の人間的な二元をただ楽しんでいく。それが非二元のありのままの世界にいる事なんだと思うのです。

だから起こっている感情は怖がらずに受け止めていい。

目の前の出来事は、宇宙の自然な流れでただ起こっているから否定しなくていい。

もし今、不安な気持ちが湧き上がっていたら、それを感じながらも全て宇宙の自然の一部だから安心していていい。と伝えたいと思ったのです。


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