色んな角度からの『ありのまま』


こんにちは。まだまだ暑いですね。

最近思う事は、『ありのまま』っていう言葉をよく聞いたり口にしたりするけど、色んな角度からの『ありのまま』があるよなー、って思うのです。

 

ゲシュタルトでも『ありのまま』と言いますし、非二元の本の中でも『ありのままの存在を認める』なんて言うし、多くの人がその言葉を使って会話をしています。

『ありのまま』は文字通り、見たものそのものあるがままなんですが、でも、この『ありのまま』って言葉、使う人や受け取る人によって様々な理解があるように思うのです。

 

そして時々、私はどの『ありのまま』なんだ? って思うのです。

私が混乱する『ありのまま』…

 

一つ目の『ありのまま』は

起こっている出来事を『ありのままでいい』と片付けて、自分の感情やそれらの出来事で感じている感覚に触れないようにして逃避するための都合の良い『ありのまま』。

自分の内側に触れず、思考だけでその場をやり過ごす感じです。

私は以前までこれをよくやってました(笑)

今も思わずやってしまうかな。

本などの知識から状況を理解して思考で整理して蓋をしてしまう感じですね。

 

二つ目の『ありのまま』は

自分の内側で起こっている感情を感じ、それが起こっていることをそのまま許していく『ありのまま』

怒りも悲しみも喜びも味わいながら、個人の感覚に起こることに任せていく『ありのまま』

これは私にとっては、それを感じる勇気と感情と一緒にいる事を自分に許す感じです。

 

三つ目の『ありのまま』は

個人の感覚からも離れ、エネルギーとして起っいるだけの事を全体の流れの中で体験していく『ありのまま』

全ては何も起こっておらず、ただその事が存在しているだけで安心感ともとに体験を観ている感じです。

 

どの視点の『ありのまま』でも、それがその人に必要な形の『ありのまま』だからそれでいいと思うんだけど、私は「今の自分はどのありのままを味わっているんだろう?」って迷子になる時があります。

 

そんな中で思うのは、三つ目の『ありのまま』は二つ目の事をやらないと三つ目と一つ目が分からなくなっちゃう事。

 

まだまだ私は三つ目の『ありのまま』には、一足飛びには行けず個人的な身体感覚をじっくり味わい付き合い、それを感じる事を許した時に個人的感覚から抜け出しエネルギーとして、それらを俯瞰して見ることのできる視点に変化していくように思います。

ネガティブな事であれば、そのエネルギーを持っている自分個人を受け入れ統合していく感じでしょうか。

 

自分個人の内側の癒し切り離した自分を取り戻す事で、個人としての統合が起こり本当の意味での安心感を得れるように思います。

私たちは多分、この意味での『ありのまま』を求めているように思います。

 

そして、その先には個人の肉体を超えて、全てがエネルギーでしかなく、そのエネルギーの現れでしかないと安心感と共に存在出来るように思うのです。

『ありのまま』と言いながら私たちは安心感を求めているのでしょうね。

 

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