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先の不安を解消するには。

「あ〜、寝れない…」と、夜中に目が覚めて考え事が始まりました。

問題の種は間もなく行うワークショップの事です。

これからのワークショップは新しいスタイルを築いていこうと決めてました。

でも、そのスタイルがまだ分かっていなく、やりながら自然に出来てくるかな…ってお任せ思考で動いてました。

でも、やっぱり不安で、どうやって構成しようかなどと考えて夜中に寝れなくなる始末…。

あれやこれやと考えている時に、ふと思いました。「なんでこんなに先の事を考えてるんだろう」

「あぁそうか、私は上手くやりたいと思ってるんだなぁ。何か失敗と言うものがあって、その形になる事を恐れて不安になってるんだなぁ。」

 

私と言う人間が、先のことを心配して上手くやろうしているのに気づきます。

「そんな先の想像をしているけど、それって必要か? しかも、この夜中に未来を想像してどうするの?」
そんなもう一人の自分からの突っ込みが入ります(笑)

それをするより、今の不安な自分・上手くやりたいと思っている自分と一緒に居ることにしました。

そうすると、気持ちは落ち着き自分の内側に問いかける事が出来ます。

今回のワークショップのテーマで私自身が思っていること何か?
ワークショップの場で提供したい事は何か?

問いかけると、ワークショップの場を作る意味が湧き上がってきます。
何か形を作ったり提供する事が目的ではなく、その場があり、その場にいる人が自分なりに自己の内側に向かう事を促すのだと言うこと。
私はそこにいて、参加者が安心して個々の内側に触れれるようにするだけ、参加者のプロセスを信頼するのだと自分の意思がクリアになってきます。

ワークショップ自体の流れを作ったり、上手くやろうとしたりして予定調和を作ろうとするのは私の不安からくるもので、宇宙を信頼していないことだったのだと気付くのです。

 

その事に気づくと大きな安心感が生まれます。
ワークショップのスタイルは作れていないけど、その場に起こった事を信頼すれば全て、その場に必要なことが起こる事だと知るのです。
それが、参加者さんに必要なプロセスなのだと信頼出来ます。
この気づきは、何よりも大きな私自身への答えでした。

 

先が不安になり思い悩んだりする事はよくあると思います。
でも、自分の視点を問題対処に向けず、その状況になっている今の自分の内側に向けてみる事が一番大切ですね。
問題対処よりも納得できる答えが見つかってくると思います。
全ては今のこの時に解決の方法がありますよね。

イライラ感情のその後

前回書いた暴走するイライラ感情のその後の展開を書こうと思います。

あれから、どうにもならない 〝イライラ感情″ を自分の中に作ったスペースに置いておくと、少し感情を深掘りするの余裕が出てきました。

「何がイライラする原因なんだろう」自分に問いかけます。
「あの人が勝手に進めてるからイヤなの!」言葉が出てきます。
また問いかけます。「勝手に進めるとナンでイヤなの?」
言葉が出てきます。「私を大切に扱ってくれてない!」

あぁ、そうか私は自分を大切に扱われていないと思い込んで怒りが込み上げていたのでした。
私のストーリーは「私は大切に扱われない」と言う観念を持って、そして「私を大切に扱って欲しい」と言う欲求を振りまいていたのです。
その観念と欲求が、私の身体の中のお腹の奥の方で疼いています。

この感覚を身体で感じたまま、その自分を客観的に観ているもう一人の〝気づきの私″ 。

「私と言う人間は、こんな思い込みをして、この世界を彩っているのかぁ。まだまだ自分の中にある傷付いた私なんだなぁ」と、気づきの私はこんな事を考えながら感情体の私を観ているのです。
そんな風に観ていると〝イライラ感情の私″ は自作自演からの少し抜け出しています。
とは云え、〝感情の私″も客観的に観ている〝気づきの私″もまだストーリーの同一化から離れた感じがなく、二人の私がくっつくように並んでいる感じがしています。ストーリーに巻き込まれて二人の私が隣同士にいる感じです。

その身体の感覚から意識的に離れて、ずっと遠いところから眺めてるイメージを作ってみます。
そのイメージは思考ではなく、ただ観ているだけの感じです。
この感じは思考とは違い、意識だけで存在している感覚です。思考とは文字通り考えや確認している事を気づいていきますが、意識とは思考すらしない漠然とそのものを観ているだけの感覚です。
考えない、言葉にしない、評価しない、確認しない、って感じでしょうか。
感情や思考、感覚から離れて傍観していると、それらのものは私と言う人間が作り上げた単なるストーリーだなぁと映画の物語を見ているような気分になります。
そうするとイライラした気分や、私を大切に扱ってくれない不満はどんどん冷めてきて、それほど大きな問題では無いように感じてきます。
そう、映画を観ててストーリーを観てるけど他人事のような感覚です。

そうするとストーリーの中で自分がイライラしているのはどうでも良くなり、そのストーリーの中でどうするのが気持ちいいかなぁと想像し始めます。
同じストーリーに中でも、自分の心地良い方向に視点が変わっていきます。
もちろん、それすらもストーリーの中で〝私の思考″が次の展開として起こしていることなんですが、心地良い新たな展開へと変わっていきます。

同じストーリーの世界を生きるにしても少しシフトして宇宙の意識とリンクしてきたように思います。

感情に十分に触れて、認めて、自分の観念に正直に向き合っていくとスペースが出来上がり傍観するゆとりが出来て、そのまま離れて観る。
思考を外してただ観ている。
そうしていくと、ストーリーと宇宙意識がリンクしてくるように感じます。

今回の私のイライラ感情や出来事は、この事を教えてくれるための流れだったのかも知れません。

大事なのは、自分のイライラ感情に嘘をつかない事ですね。

 

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どうにもできない イライラ感情

2018年明けましておめでとうございます。
今年もインフィニティー共々、よろしくお願いします。
今年もまた感じた事をツラツラと綴っていこうと思います。

新年早々ですが、今日は腹立たしい事があり、それらを通じて感じた事を書こうと思います。

ある出来事が気持ちに引っかかり、それが原因で湧き上がったイライラの感じと、相手を非難する自分がいました。私はその思考を眺め、「あぁ、ストーリーに振り回されてる」と気づきつつ、ストーリーから離れようとするけれど、やっぱり気持ちはイライラから離れられません。

怒りや感情の動きは自分の問題に向き合うチャンスなんだけど、気持ちはそんなことを言ってられなくて、ともかく批判的になっている自分を見ていく事しか出来ず、自分の切り離された部分を見つけるための作業など出来ないのです。

〝批判する思考″や〝思考からくる感情″ はストーリーと同一化していると分かっているけど、私の思考はコントロール出来ないし「ストーリーと分かっている」と言い聞かせて、自分を抑え込むのも単なる抑圧で違う気がするのです。
思考は『私』と言う有機体で単に起こっている事だし、その思考によって感情は沸き起こり結局、何にも出来ないことに気づくのです。

何にも出来ないから、感情的になっている自分と一緒に居るしかなくて、少なくとも今の現状から物理的に離れて自分の身を安心できる場に置く事しか手立てが無いのです。

イライラして頭のなかで文句を言って、気持ちが不安定な自分の状態をただ眺めて、その自分を許す。
自分という有機体に起こっていることをそのまま起こらしていく。

それが人間と言う有機体なんだなぁと感じているのです。

全てはストーリーと知って「同一化せずにストーリーを生きる」と本で読んだり知識はあっても、私を作り上げてる思考と感情はまだまだストーリーの中にいて、どうしようもない私を持て余しながら、その私を赦すスペースを作っていく事しか出来ないと感じています。
それら全てが今起こっている宇宙のようなものなのでしょうね。

私自身がもっと、思考も感情も身体も私のものではないと切り離しが出来るようになれば、こんな事も終わっていくのかも知れません。
その途上にいる今の私を素直に書いてみたくなりました。

きっと、同じような気持ちの人がいるだろうなぁ〜と思いつつ。

 

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