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自分の中の中心軸

会社の人間関係の中で特に感じてることなんですが、私は「人からどのように思われているか」を気にしていたなぁと振り返って思うのです。

人の評価を気にして自分が良く見えるように、その人の視点に合わせて自分の軸を外に出していたと思うのです。

人がどのように見るか… や、人の評価、価値観はその人個人の世界感であり、その人の作った世界感で評価のコメントをしているだけなのに、私は人の世界感に影響をされて生きていたのです。

この日々の生活すら幻想のストーリーなのに、更に人が作ったストーリーに振り回されていたとは…。どれだけの幻想ゲームに入り込んでいたのかと思ってしまいます。

私は人からの評価で自己肯定感や自己否定感を生み出し、人に振り回されて落ち込んだり安心したりしていました。

それは、『承認欲求』『親和欲求』 それらのエゴの声に惑わされて恐れを持っていたからなのです。他人に認めて欲しい。誰かと一緒にいたい。自分で自分を認めていないから他人から認めてもらうことに意識が向いていました。

だけど、それは不要だったと知ると自分の軸を取り戻せるようになります。

『自分の中心に戻る』とか『自分を信頼する』とか言いますが、なかなか言葉通りに出来ることではないのだと思います。私は何度も同じ言葉を聴いたけど無理でした(笑)

それは、この宇宙は安心の場なのだと知る事でそこに居れるよな気がします。

誰がどんなストーリーを持って私を見ても、それはその人の自由。そのストーリーの自由を認めて、真実に安心して寛ぐ。

私はそこに今、少し触れ始めて自分の軸を取り戻してきているような感じがしています。

自分軸を取り戻して自分に寛ぐ。自己信頼と穏やかさが そこにはありました。

 

 

台東区「はばたき21」主催 ワークショップ

心が楽になる表現アートセラピー

孤育てから個育ちへ』

台東区男女平等推進プラザ「はばたき21」からのご依頼でワークショップを開催します。

 

テーマはシングルマザーで子育てに疲れてしまっている方に向けての癒しのワーク。

お仕事も頑張って子育ても頑張って、がむしゃらに走っている女性が多いですよね。

そんな方たちが自分にゆっくりと触れる時間です。

台東区男女平等推進プラザ「はばたき21」主催でグループ相談の枠組で三回連続講座です。

【開催日】

7/8(土)      7/29(土)       8/19(土)

【時間】

13:00~15:00   2時間

【参加費】

無料 (託児所付)

詳しくは添付のチラシでご確認ください。

グループ相談チラシ

 

うるさい頭の中

フローティングタンクに初めて入ってみました。

フローティングタンクとは、人が一人横たわれるカプセルのようなものの中に塩分濃度の濃いお湯が水深30㎝程度入っているものです。
その中に裸で入ってお湯の中で寝仰向けの状態で浮きます。タンクの中は真っ暗で音も聞こえず、目を開けても閉じても同じ、自分の呼吸の音すらうるさく聞こえるほど静かな空間になります。

身体は完全に浮いていますから、どこにも力が入らず自然な状態です。

私はその静かな空間で90分過ごすコースを体験しました。

一種の瞑想状態になります。自分の内側を見つめ、ゆっくりと静かに自分に触れる時間。
身体は自己治癒力で間接などがペキペキと鳴り出して緩んでるいきます。

その中で静かに過ごすハズでしたが、それがナンと私の頭の中の煩いこと(苦笑)

人は一分間に100語の言葉を話して、頭の中では600語を話すと言います。

その600語の言葉が溢れんばかりに頭の中を駆け巡ります。それも一向に修まらないんです。

いつもは外部の情報に惑わされて気付かなかったのでしょう。私の中はこんなに煩かったとは…。

そして、タンクの中で浮きながら身体を色々と動かし私のお試し行動が始まります。

腕をこのようなポーズにしたらここに負担がかかるとか、腰に力を入れたらどうなるかとか、色んな事の情報を仕入れようとします。

一通り情報を仕入れるとタンクに入っているのが飽きてきます。今度は身体は出たい衝動に駆られます。

どうも私と云う人は、「学習」が無いと時間の無駄だと考えているようです。

『思考から離れて』と思っているのに、思考は学習や学びに重きを置いてそこに価値を持っていたのです。私の思考は効率を求めたり成果を求めたりするようです。

それは私のエゴが成果があることを『良し』としているようで、それが人生のサバイバルを生きていく上で必要だと思っているのでしょうね。反対を言えば、そうでないと安心できなかったのでしょう。

いつも私のエゴはこの世をサバイバルとして戦わなければいけない。自分を守るための戦闘態勢だったのだと思います。

そんな『私』を労り、何も考えなくても安全で安心なのだと自分に教えていく。

「あるまま」を信頼してそのままを見ていく。

毎日瞑想をして心を沈めていたつもりでしたが、全く出来ていない事を知れたのは大きなステップになりました。『静』に留まり、静から出てくる世界を見ていく事を知る。

当面はフローティングタンクにハマりそうです。

静かな時間を味わう状態を感じていこうと思います。

 

不快なことを見つめていく先にあるもの

最近、自分がどれだけジャッジしながら生活をしているか…、と云うことをあらためて感じています。

日々の生活でジャッジする人の言葉を聞くたびに不快な気分になってました。気にしないようにしていても気になります。

うるさく感じますし、聞きたくないって気持ちになったり…。そして、次第に精神的ストレスがたまっているのを感じてました。

それで、「あ~それは私のシャドーなんだろうなぁ」と思い自分の内側を見つめていくと、出てくるわ、出てくるわ、私の中のジャッジマン!

まずは、人に対して「人をジャッジするなんて~っ!」とジャッジしているし、街を歩きながらでも、「あ、あの人の服装変なの~」とか「そんな事しちゃダメでしょ~」とか、「これはいいよね」とか頭の中はジャッジだらけ…。

そして、何よりも自分を「人をジャッジしてるなんてダメな私」とジャッジしているし、「仕事はちゃんとミスなくやらなきゃダメでしょ~」と自分に言ってるし、その自分へのジャッジを「聞きたくない~」って抑圧してるし…。

はい、外側に映し出されていたジャッジする人は私でした。と認めざる終えません(苦笑)

自分がどれだけストレスを自分の中に作りながらストーリーを作っていたのかに気付きました。

そして、そのジャッジストーリーは一人一人異なった世界を作っています。

『私』が作った幻想のストーリーはジャッジすることで安全に生きようとしている気がします。自分のストーリーの世界で他者を批判して自分は大丈夫と優越感を感じたりしています。

面白いことに、私はその人の作った世界のストーリーのジャッジを怖れて他人の目を気にしながら生きていたのです。

私はとても人の目や意見や評価を気にしています。もちろん昔よりは自己を大切にして自己犠牲はしなくなったけれど、まだまだその習性は残ってます。

でも、改めて考えてみたら各個人が個々に作っている幻想のストーリーに影響される私はいかなるものかと。

そうです、私は他人のストーリーに巻き込まれる必要は無かったのです。

また一つエゴのストーリーのからくりに気付きました。

自分のストレスからシャドーに気付かされ、そこからエゴのストーリーを暴き出し、ストーリーの中での生き方が少し楽になる。

本当に不快や痛みはギフトなんですよね。