非二元

思考せずに味わっていく

前回のブログで書いたように、思考の中に答えはなく、ただ起こっていることを体験するだけだと気付き、感覚や感情に留まろうとすると、意思に反して思考が湧いて出てくるのです。

感覚や感情を味わっていると、底無しの沼地に足を入れたような踏ん張りが効かない怖さや不安感を感じるのです。

考えていないと生き残れないような不安。
考える事で自分のやり方や理解を深めて存在を認めて安心することを求めている感じ。
考える事で自分を守っている感じ。
考える事で自己の足取りを確認している感じ。
それらの不安から解釈で型取っている自分。
思考が隠し持っている恐れに気付くのです。

しかし、それでも思考は止まらない。
だから、この思考もコントロールできない事と諦めると全てを体験として受け止める事が出来きます。
今はその事すら、この身体を通して起こっている事として体験していくのです。

この季節、散歩をしていると緑が多くなり自然が綺麗で、明るい緑の葉がサワサワと揺らいで光って見えます。

「新緑が出る季節で綺麗だなぁ」と呟く。

そんな時にただ「綺麗だなぁ〜」とだけ言葉にして、その感情や身体にある感覚を味わってみる。
「綺麗だなぁ」「気持ちいいなぁ」「寂しいなぁ」「悲しいなぁ」「嫌だなぁ」 「嬉しいなぁ」「不安だなぁ」「ムカつくなぁ」

それらの感情に触れる言葉だけを取り出して繰り返してみる。
その時に身体の中でうごめく波動を味わってみる。
そうすると体験している自分に触れることが出来るような感じです。

それは今までとは違う新たな扉を開いて、新しい世界を観ているような気がします。

何故だか世界が広がって見えるのです。

 

★★★ ワークショップのお知らせ★★★

インフィニティーとしてワークショップなどの活動をしています。

6/3は『非二元好きの方のお茶会』をします。
ご興味のある方はこちらをご覧下さい。

 

 

体験がそこにあるだけ

非二元論を伝えている中野さんの個人セッションを時々受けています。

先日の個人セッションでも、いつものように私の思考はフル回転して彼に理解できてないことを尋ねます。

最近の私の思考は、〝気付き″ と〝思考″ と〝観念″ はどのように違うのか。って事です。

よく「気付きを持つ」とか、「気付いていく存在」とか言われますが、気付きが起これば思考になります。

それを考えていれば思考が自分の観念へと作られていきます。

「思考しているのは自分では無い」と言うのであれば、そもそも気付くのも自分では無いのでは無いか…。

「気付きの存在になる」と言うが、それすら自分では無いと言うことになるのではないか。

私の頭はグルグルと回ります。

そのことを中野さんに尋ねると、中野さんは「その思考を止めてください。そのように思考する自分を感じてください」とおっしゃいました。

 

思考を止めて感じていると、また思考が走り始めます。「それって、どうゆう事?  思考を止めようとするのも思考じゃないの?」

そうやって頭の中の会話は続きます。思考で思考をこねくり回して、言いがかりをつけるように理論的を知りたいのよ。って踠いてます。

 

だけど、本当に思考しないようにして感じていると恐ろしさが湧き上がってくるのです。

意味のない不安感や恐怖感。足下が救われた感じ。気持ち悪いのです。

だから、また思考で「自分」のバランスを取ろうとしているのです。

思考が自分ではなくて、気付きも自分ではないなら、本当の私は何処にいるのか。

「自分は居ない」と非二元論を掲げながら、私はまだ「真我の自分」と言うものを探しているのです。

ここにいるのはストーリーの自分で、真我の自分が何処かにいると思っているのです。

 

そして、彼は言います「何をやっててもいいんです。何でもいいんです。何もしても正しいや間違いもないんです。だから非二元なんです」と。

いつも聞く言葉なのですが、今回はその言葉を聞いて何がが変わりました。

私が探していたのは「正しい答え」だったのです。

そして、彼はいつものように言います「感じてください」と。

そう、思考の中に答えはなくただ感じていく。
文字や言葉など自分外側に答えはなく、自分の内側だけに知りたかったその先があると言うことが、少し今までよりも腑に落ちてきます。

そして、なにが起こっていても間違いも正しいも無く、何が起こっていてもそのままて、何が起こっていてもそれで良いのだと非二元の根本に気付かされます。

そうすると、「私の気付きは誰か」と追及する事なく起こっていることで、思考も「誰なのか」と追及する事なく起こっていることで、今起こっていることはすべて起こっているだけのことで、ただ体験だけがあるのだと思ったのです。

思考を止めると不安を感じる感覚を体験する。
思考でぐるぐる巻きになってることを体験する。
ここで笑っていることを体験する。
上手くいかないと感じた私を体験する。

 

こんな風に意識が変わると思考の檻が外れるのです。<思考しているこの感覚を体験する。

気付きも思考で何か知る事があるのでは無く、知って成長があるのでも無く、起こっていることを解釈するのでも無く、いや解釈したいなら解釈をすればいいだけであり、すべて宇宙で起こっている流れだけを体験するだけ。

何をしててもOK、やりたい事をただやっていく。それが宇宙の流れだから。

そして、それを体験する。

こんなことを感じるこの頃になってきています。

 

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6/3は『非二元好きの方のお茶会』をします。
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非二元好きのお茶会

★★★非二元好きのお茶会★★★


非二元論(ノンデュアル)の好きな方

集まってお茶会をしましょう❗️
 
非二元の話題を思いっきり喋りたい!
仲間と集いたい。
 
そんな目的でお茶会をします。
 
私も非二元の話って誰とも出来ず、本を読んではモヤモヤしたり自分なりの解釈をしたり。
だから、そんな話題を仲間同士でお話できるお茶会です。
気付きが深まっている人も、気付きに気付き始めた人も〝起こっている場″を分かち合いましょう
興味のある方は是非お集まりください😊
■日時 : 6/3 (日) 13:00-16:00
■場所 : 東京都墨田区ビックシップ 2F和室
             https://www.cp-bigship.net/アクセス-地図/
■参加費 : 1,500円
■主催者 :インフィニティー (上谷 和美)
■お申込み先 :  こちら
タイトルに『お茶会』とご記入下さい。
★★★インフィニティーのワークショップ★★★
インフィニティーとして活動しています。
ご興味のある方はHPをご覧ください
 
 

中野真作さんのリトリートに参加して

3月上旬に中野真作さんのリトリートに参加してきました。
中野真作さんとは、非二元の本を出版されてる方で私は時々彼の個人セッションを受けたりしています。

彼の持論の好きなところは、非二元の世界を伝えるだけで無く、カウンセリングでまずは自己の内側を見つめ自分を「個」として癒し他者と自分の境界線を作ってから、次のステップとして非二元の「自分は個ではない」と伝えているところです。
心理学と精神世界を融合させて人の成長のステップを伝えてくれています。

私もゲシュタルトでは、「個」を作る作業をし、そして自己信頼を取り戻してから、次に全ては自分が作り上げていた幻想だったことや、そもそも「私」という存在すら思考が作り出したアバターだったと理解する作業へと移行しています。

それは今でも、どちらも続いています。
「個」の中にある苦しみや思い込みや自己存在感は無くならず、それがあるから肉体だと思うし、またもう一方で幻想ゲームを終了させて宇宙の流れの中に委ねた在り方もあるからです。
最近、私の中に行き詰まりがありました。
それは、思考すら私ではなく宇宙が起こしている事であれば何かをしようを意図することすら不要なのでは無いか。という事です。

悟るとか、ストーリーに気付くとか、思考から離れるとかと、沢山の目覚めのためのステップを聞くけれど、それすらも全て思考でコントロールして方向性を決めて行くことになるのではないか。

そして、その思考のコントロールは自分がやってるように思っても実は宇宙が起こしているだけで、それをすることすら「目覚めごっこ」のストーリーに中にいる心地悪さがありました。
私の頭の中はグルグル状態でした。
正解が見つからないのです。

まぁ、正解を欲している私が既にコントロールに入って苦しいワケですが(笑)

そんな事をリトリートの会場で中野さんに質問しました。
彼からの答えは、結局は全てがストーリーなんですよ。ただ、そこで起こっている感情や感覚を感じて下さい。思考のグルグルを止めて感覚にいて下さい。という事でした。

それらを通して私が受け取ったメッセージは、
思考の中には答えがなく、感覚だけが今起こっている本質。だから、今起こっている感覚(現実)の中に私もエネルギーとして存在すること。
そこには言語的答えではなく、言葉にならない世界の豊かさや確信的感覚がもたらされるのではないかという事でした。

突き詰めれば突き詰めるほど、「ストーリー」と言われている生活と「リアリティー」と言われている世界は一体化していき、スタートラインに戻っていくのです。

まぁ、屁理屈を言わず考えを止めて、ここにいる事を感じていきなさい。って感じですね(笑)
そんな事を知ったリトリートの一日でした。

何者にもならない生き方

「何者にもなる必要はない」の言葉が自分の内側から聞こえてからのその後、力が抜けています。

何かを追い求めて今にいるのではなく、今にいるために「今」にいる感じ。

以前は目標としているものがあり、それになるために、何者かになるために「今」を生きていました。
未来に意識をおいて、未来の姿を欲して「今」をその過程として進んでいたのです。

でも、それは不要だと気づいたのです。
それに気づくと人生ゲームの競争から離れれたような気がします。

未来に縛られなくなり、仕事で成功させることも意味が無くなり、ゴールもなく、進む方向さえありません。
あるのは、自由なお任せゴールと今に居ることの360度の広がり。

もちろん、今やっている事や仕事の評価や結果が気になったり、誰かの豊かな生活が羨ましかったりしますが、それは「気になる」と云う事が 今 起こっているだけの事なのです。
そして、私はそこを体験し続ける。
ただ生きている有機体を体験する。
今起こっている事を起こしていく、それをただ見ていく。受容的な在り方。

今思うと、何者かになろうとしていたのは自分のエゴの声だと知ります。
でも、そのエゴの声も起こっているだけだったのです。

起こっている事を見つめて体験して味わっていく。今起こっている五感の感覚を感じ、今湧いている感覚や流れを受け止めていく。
今は違う意味での人生ゲームを楽しむ事が出来ます。

人生競争ゲームではなく、人生体験ゲームを遊び楽しむ。それが宇宙の中の有機体として存在する楽しみの気がしています。

 
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ファシリテーターとしての存在

先日、テレビで歌を聴いて感動して涙が出てきました。
それは素人の高校生が歌っていて、審査員とカラオケマシンで採点をしていたのですが、審査員すら涙を流しながら彼女の歌に聴き惚れていました。

彼女の唄声は心を包むように優しく、そして力強さもあり私の心に染み込んできました。
審査員のコメントが、彼女は審査されていることを意識せず自分のために歌っている。歌に歌い手の生き方が出ていて、とても力強さと優しさがあった。と云うような事を言ってました。

審査員の「彼女は自分のために唄っている」の言葉が心に残り、自分のファシリテーターとしての在り方と重なりました。
そう、人と向き合うファシリテーターは他者を癒してあげようとか、サポートしようとか思う必要はないのだと改めて思ったのです。
ファシリテーターは自分は自分のことをする。
クライエントと向き合っていても、自分の感覚にフォーカスして自分の内側を感じていく。
自分軸を持ち、自分としてそこに存在する大切さ。

全ての人が自分で前に進む力を持っています。
その人と向き合った時にファシリテーターが『自分』でいる事で、関係性の中でクライエントは自己信頼や自己回復力を取り戻すのです。
その事を彼女の歌を通して改めて感じたのです。

私はファシリテーターとしてスキルアップの練習をしていますが、そのトレーニングはスキルを上げるのではなく、ファシリテーターと云う立場から自分を見つめ、そして自分軸を持ってクライエントの前に立つ人としての学びなのだと思いました。

私 「上谷和美」と云う人であり、その私がワークの場に存在することで、私との関係性の中でクライエントが自分で成長をしていく。

この場の瞬間に「上谷和美」として存在すること。

私は存在しないが、私として存在する。
自己はおらず、存在がある。
存在することの意義。
彼女の歌を聴いて感動して涙が溢れた感覚は、そこに何か確かな存在があり、存在意義を思うのです。そこに在ると言う事の価値を。
ストーリーの中で、自分を生きる価値や意義を感じています。

先の不安を解消するには。

「あ〜、寝れない…」と、夜中に目が覚めて考え事が始まりました。

問題の種は間もなく行うワークショップの事です。

これからのワークショップは新しいスタイルを築いていこうと決めてました。

でも、そのスタイルがまだ分かっていなく、やりながら自然に出来てくるかな…ってお任せ思考で動いてました。

でも、やっぱり不安で、どうやって構成しようかなどと考えて夜中に寝れなくなる始末…。

あれやこれやと考えている時に、ふと思いました。「なんでこんなに先の事を考えてるんだろう」

「あぁそうか、私は上手くやりたいと思ってるんだなぁ。何か失敗と言うものがあって、その形になる事を恐れて不安になってるんだなぁ。」

 

私と言う人間が、先のことを心配して上手くやろうしているのに気づきます。

「そんな先の想像をしているけど、それって必要か? しかも、この夜中に未来を想像してどうするの?」
そんなもう一人の自分からの突っ込みが入ります(笑)

それをするより、今の不安な自分・上手くやりたいと思っている自分と一緒に居ることにしました。

そうすると、気持ちは落ち着き自分の内側に問いかける事が出来ます。

今回のワークショップのテーマで私自身が思っていること何か?
ワークショップの場で提供したい事は何か?

問いかけると、ワークショップの場を作る意味が湧き上がってきます。
何か形を作ったり提供する事が目的ではなく、その場があり、その場にいる人が自分なりに自己の内側に向かう事を促すのだと言うこと。
私はそこにいて、参加者が安心して個々の内側に触れれるようにするだけ、参加者のプロセスを信頼するのだと自分の意思がクリアになってきます。

ワークショップ自体の流れを作ったり、上手くやろうとしたりして予定調和を作ろうとするのは私の不安からくるもので、宇宙を信頼していないことだったのだと気付くのです。

 

その事に気づくと大きな安心感が生まれます。
ワークショップのスタイルは作れていないけど、その場に起こった事を信頼すれば全て、その場に必要なことが起こる事だと知るのです。
それが、参加者さんに必要なプロセスなのだと信頼出来ます。
この気づきは、何よりも大きな私自身への答えでした。

 

先が不安になり思い悩んだりする事はよくあると思います。
でも、自分の視点を問題対処に向けず、その状況になっている今の自分の内側に向けてみる事が一番大切ですね。
問題対処よりも納得できる答えが見つかってくると思います。
全ては今のこの時に解決の方法がありますよね。

イライラ感情のその後

前回書いた暴走するイライラ感情のその後の展開を書こうと思います。

あれから、どうにもならない 〝イライラ感情″ を自分の中に作ったスペースに置いておくと、少し感情を深掘りするの余裕が出てきました。

「何がイライラする原因なんだろう」自分に問いかけます。
「あの人が勝手に進めてるからイヤなの!」言葉が出てきます。
また問いかけます。「勝手に進めるとナンでイヤなの?」
言葉が出てきます。「私を大切に扱ってくれてない!」

あぁ、そうか私は自分を大切に扱われていないと思い込んで怒りが込み上げていたのでした。
私のストーリーは「私は大切に扱われない」と言う観念を持って、そして「私を大切に扱って欲しい」と言う欲求を振りまいていたのです。
その観念と欲求が、私の身体の中のお腹の奥の方で疼いています。

この感覚を身体で感じたまま、その自分を客観的に観ているもう一人の〝気づきの私″ 。

「私と言う人間は、こんな思い込みをして、この世界を彩っているのかぁ。まだまだ自分の中にある傷付いた私なんだなぁ」と、気づきの私はこんな事を考えながら感情体の私を観ているのです。
そんな風に観ていると〝イライラ感情の私″ は自作自演からの少し抜け出しています。
とは云え、〝感情の私″も客観的に観ている〝気づきの私″もまだストーリーの同一化から離れた感じがなく、二人の私がくっつくように並んでいる感じがしています。ストーリーに巻き込まれて二人の私が隣同士にいる感じです。

その身体の感覚から意識的に離れて、ずっと遠いところから眺めてるイメージを作ってみます。
そのイメージは思考ではなく、ただ観ているだけの感じです。
この感じは思考とは違い、意識だけで存在している感覚です。思考とは文字通り考えや確認している事を気づいていきますが、意識とは思考すらしない漠然とそのものを観ているだけの感覚です。
考えない、言葉にしない、評価しない、確認しない、って感じでしょうか。
感情や思考、感覚から離れて傍観していると、それらのものは私と言う人間が作り上げた単なるストーリーだなぁと映画の物語を見ているような気分になります。
そうするとイライラした気分や、私を大切に扱ってくれない不満はどんどん冷めてきて、それほど大きな問題では無いように感じてきます。
そう、映画を観ててストーリーを観てるけど他人事のような感覚です。

そうするとストーリーの中で自分がイライラしているのはどうでも良くなり、そのストーリーの中でどうするのが気持ちいいかなぁと想像し始めます。
同じストーリーに中でも、自分の心地良い方向に視点が変わっていきます。
もちろん、それすらもストーリーの中で〝私の思考″が次の展開として起こしていることなんですが、心地良い新たな展開へと変わっていきます。

同じストーリーの世界を生きるにしても少しシフトして宇宙の意識とリンクしてきたように思います。

感情に十分に触れて、認めて、自分の観念に正直に向き合っていくとスペースが出来上がり傍観するゆとりが出来て、そのまま離れて観る。
思考を外してただ観ている。
そうしていくと、ストーリーと宇宙意識がリンクしてくるように感じます。

今回の私のイライラ感情や出来事は、この事を教えてくれるための流れだったのかも知れません。

大事なのは、自分のイライラ感情に嘘をつかない事ですね。

 

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どうにもできない イライラ感情

2018年明けましておめでとうございます。
今年もインフィニティー共々、よろしくお願いします。
今年もまた感じた事をツラツラと綴っていこうと思います。

新年早々ですが、今日は腹立たしい事があり、それらを通じて感じた事を書こうと思います。

ある出来事が気持ちに引っかかり、それが原因で湧き上がったイライラの感じと、相手を非難する自分がいました。私はその思考を眺め、「あぁ、ストーリーに振り回されてる」と気づきつつ、ストーリーから離れようとするけれど、やっぱり気持ちはイライラから離れられません。

怒りや感情の動きは自分の問題に向き合うチャンスなんだけど、気持ちはそんなことを言ってられなくて、ともかく批判的になっている自分を見ていく事しか出来ず、自分の切り離された部分を見つけるための作業など出来ないのです。

〝批判する思考″や〝思考からくる感情″ はストーリーと同一化していると分かっているけど、私の思考はコントロール出来ないし「ストーリーと分かっている」と言い聞かせて、自分を抑え込むのも単なる抑圧で違う気がするのです。
思考は『私』と言う有機体で単に起こっている事だし、その思考によって感情は沸き起こり結局、何にも出来ないことに気づくのです。

何にも出来ないから、感情的になっている自分と一緒に居るしかなくて、少なくとも今の現状から物理的に離れて自分の身を安心できる場に置く事しか手立てが無いのです。

イライラして頭のなかで文句を言って、気持ちが不安定な自分の状態をただ眺めて、その自分を許す。
自分という有機体に起こっていることをそのまま起こらしていく。

それが人間と言う有機体なんだなぁと感じているのです。

全てはストーリーと知って「同一化せずにストーリーを生きる」と本で読んだり知識はあっても、私を作り上げてる思考と感情はまだまだストーリーの中にいて、どうしようもない私を持て余しながら、その私を赦すスペースを作っていく事しか出来ないと感じています。
それら全てが今起こっている宇宙のようなものなのでしょうね。

私自身がもっと、思考も感情も身体も私のものではないと切り離しが出来るようになれば、こんな事も終わっていくのかも知れません。
その途上にいる今の私を素直に書いてみたくなりました。

きっと、同じような気持ちの人がいるだろうなぁ〜と思いつつ。

 

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自己を超え宇宙に溶け込む意識

先日、スエットロッジに入った時のことです。

私はこの時間空間を抜け出し、宇宙に溶け込んだような意識になりました。

前回にも書いたように、スエットロッジの中はとても狭く、藁で作られたような薄い敷物が一枚下に敷いてあり、お尻には土の感じが伝わってきました。

私たちは水着にパラオを巻いたような姿でスエットの中に入っているので、熱く焼けた石が入ると肌にダイレクトに熱さが伝わり、熱気が身体中を覆い尽くします。

真っ暗闇で隣の人も見えず、自分の身体も見えず、ただ汗が肌を流れる感覚と熱気を浴びてる感覚と狭い場所にいる感覚と、それとインディアンドラムの音と祈りの歌声。

 

今まで真っ暗な空間はフローティングタンクで慣れてはいましたがが、フローティングタンクとはまた違う自分に触れる時間でした。

 

フローティングタンクに入っているときは、時として思考の渦に巻き込まれる事がありますが、スエットロッジでは思考よりも『今』にどのようにいるかに自然とフォーカスされていきます。熱さと一緒にいて、ドラムの音を聴き、声を出して歌う。

先の事や、さっきまでの事を考えている余裕が無いといいましょうか。。。

 

そこにいると不思議な感じがしてきました。

何も考えず、今起こっているスエットの中の出来事を眺め、自分の皮膚感覚を感じていると宇宙と一体になったような感じがしてきたのです。

 

まるで宇宙とダンスをしているような感じです。

「宇宙に溶け込んでいる感じ」とでも言いましょうか、ダンスするときに腕の中に包まれて守られている感じ。それで一緒に流れている感じ。根拠のない安心と一体感なんです。

 

実は私は人一倍思考タイプで頭の中で考えて整理をしたがるところがあります。

理論的に理解し言語化して安心したいんでしょうね。

でも、スエットでの感覚はこれを超えたところにありました。

ああ、『今にいる』ってこれなんだ!

最近、誰もが『今ここにいる』ことを言っていますが、その『今ここ』とはまた別の感じがあります。今ここは、今起こっていることに気付いて、今の状態を見ていく作業ですが、私の体験した『今にいる』は見ることすら無い、だから見るものも見られるものもいない、ただの存在の感じです。

見る視点や思考が無くなり、そこを超えた時にただの存在だけになったのです。

思考を通さなくなった時に『今にいる』事が出来、自分の存在そのものが、宇宙の存在そのものになる感じです。

それが私という個人の存在を超えて、ただそこに存在する『存在』そのものなのだと感じました。

そして、思考で恐れから守っている安心では無く、恐れすらない安心感がそこにありました。

この体験は個人の次元を超え、宇宙に溶け込み意識の存在そのものになった体験だと今になって思うのです。

何か大きな体験をしたような気がしています。

 

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