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非二元とゲシュタルトセラピー

こんにちは。

GW真っ只中、皆さんはいかがお過ごしでしょうか。

後半になってお天気も良くなり、散歩していても気持ちがいいです。

新緑の木々が太陽照らされ、葉が風に揺られ子供の声が聞こえてきます。

私はのんびりとカフェで  ここに居る  感覚を味わい、「私は今何に気付いていますか?」と自分に問いかけて丁寧に自分の身体の内側と外側の出来事にコンタクトをしてこの場を過ごします。

この問いかけはゲシュタルトセラピーで使う問いかけです。

 

私はセッションでゲシュタルトセラピーを使っています。

非二元と云う分野を追求していくと、ゲシュタルトの関わりや考え方は非二元にとても近いと思っています。

ゲシュタルトの場合、人間を有機体と捉えていて、その有機体は心地良く生きていく方法を知っていて、その力を持っています。

体の中で何かを欲求すれば、それに気付き欲求を満たし、外側の状況は身体の五感を使って察知し、それに合わせて対応をして自分が心地よく生きる方法を選びます。

外部領域と内部領域にコンタクトをしていれば迷いなく生きていくのですが、人間の場合、中間領域と云う思考が働き始めます。

中間領域の思考とは過去や未来の想像をしたり善悪をつけたり評価をしたり、人から教えられた価値観を取り入れたりと、体験とは違う想像の世界です。

その想像の世界が自分の本当に表現したいことを止めてエネルギーの滞りを起こしています。

例えば、感情も身体の中で沸き起こる大切な表現の一つです。

怒りたいのに怒ることを我慢したりする事は誰でも経験があると思います。

怒りは自分を守るための大切なエネルギーです。自分を守るためのエネルギー(戦うや逃げるなど) で外に出るエネルギーですが、外に出さなければ内側に留まり自分を傷つけます。

自己否定、自傷行為、自己の抑圧、ありのままの自分ではいけない感覚。

 

だから、自分の身体の内側で起こっているエネルギーをありのまま感じて表現してもらう事で次のプロセス(解決)へと自然と自ら流れていくのです。

 

非二元と何処が似ているかって言いますと、

その起こっている感覚をじっくりと感じる事で、自分のありのままを受容し思考が勘違いして作り上げたアイデンティティの自分を見つけ出し、受け止め癒していける事です。

全ては一つだと言いながらも、自己のアイデンティティを受け止めず否定していては一つにはなれず分離を作り上げていきます。

自己の分離はいつまでも外側の分離を生み出します。

内側で沸き起こる感情や痛みを受け止め癒す事で、自分の分離を無くしていき自分が作り上げてきた自己のアイデンティティに気付きます。

そして、それは自分だと勘違いしているアイデンティティだと気付き、それを守らなくてもよくなってくる感じがするのです。

そう、『自分』と云う同一化から離れることが出来るチャンスだと思うのです。

 

私は非二元と言われている世界を探求しながらも、人間臭い日々のドラマが好きです。

非二元を知れば苦しみは無くなり愛だけが残るのではなくて、日々の日常は繰り返されていて苦しみや悲しみや怒りや嬉しさがある人間臭さが同時に起こっていて、それがある事を許されたり受け入れられたりしていくと思うのです。

本来なら幻想の世界なんだけど、それでも今この瞬間に感情が湧いてくる肉体が有り、ある事を許していく。知っていく。

在るものを無いものにしない。全てあって良し。全ての感覚をこの意識が体験している。

 

その体験が自己同一化から少しずつ離れ、幻想のストーリーを作らなくなるように思います。

そんな風に今は捉えています。

そんな観点から見てゲシュタルトは私にとって役立つ療法になっています。

 

良かったら一度、ゲシュタルトセラピーを体験しに来てみてくださいね。

また、おいおいゲシュタルトを通しての非二元に通じる私の感覚を書いてみますね。

では、またね。

 

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自己信頼を育むプロセス

こんにちは。

ブログを読んで頂いてありがとうございます。

間もなく10連休のGWですね。皆さんはいかがお過ごしでしょうか?

以前の私の連休の過ごし方と云えば、長期滞在型の心理系ワークショップの参加でスケジュールが埋まっていたものです。

そこで自分に向き合い、何かを教えて貰えば本来の自己に出会えると思っていたからです。

 

教えて下さる方々は素敵な方ばかりで、ある意味憧れの人でもありました。

自分に向き合うのはとてもいい体験の時間だと思います。

しかし、私はその憧れの人から 「何かを学びたい」とか、「その人に教えて貰えば本来の自己に出会えて自己信頼を持って豊かな人生を送れる」と思っていたのです。

自分の核となる部分を外側に預けて依存していた状態だったようにも思います。

素敵な男性と巡り合えば幸せになれるとか、宝クジに当たれば豊かになれるとか、の感じでしょうか。アレがあれば自己信頼が芽生えてくると云う思いです。

健気に頑張っていた時期のようにも思います。

それがプロセスとして必要だったことも理解できます。

 

そして今は、自己信頼は「今」を感じる事を許していく事で少しずつ芽生え始めると思っています。

実は芽生えるのではなくて、自己信頼は最初から無くなりも有りもしなかったことに気付くのです。

そう、悟れば自己信頼や豊かさが来るようには思えず、ただ在ることを在るように受け止めて身体の中で起こる感覚を味わい、その感覚さえもプロセスとして受け止めていく感じがします。

 

自己信頼が欲しかったのは思い違いをしているエゴの恐れからのように思うのです。

 

しかし、このプロセスで私が経験したことは、まずはこの身体で起こっている感覚に触れて、感覚がある事を認めて許していくステップが大きな鍵になるという事です。

それは誰かに教えて貰うのではなくて、ただ感じていく作業だったのです。

 

これからも心理系のワークショップに参加すると思いますが、依存的ではなく憧れの人と時間を共有する事で何が起こるかを楽しみにしていくのだと思います。

 

沢山の憧れる指導者がいて、学びをさせて貰い、自分の痛みを自分で受け止めれなかった時には受け止めて貰い、そして次のプロセスとしてここに居る感じです。

 

もしも自己信頼や自己肯定感が欲しいと思っているならば、何処かで探すのではなくて、一日一日の自分の感覚に触れて感覚があるのを許していく事で自分を取り戻せるようになると思います。

誰でも自分の内側にその力があります。

では、またね。

 

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非二元的な見え方と現実の中で。

こんにちは。

桜も散り始め、たんぽぽや色とりどりの草花が咲き始め生命力の芽吹きを感じています。

会社では新卒採用の新入社員が入り、人事で人材育成を担当している私はやっと三週間の新入社員研修が終わり、自分の事に意識を向けれるゆとりが出てきました。

この週末は、ゆっくりと散歩をしながら草花をみて、野鳥を見て自分の呼吸を感じて、すれ違う人達の様子を見て、と、自分の五感や内側の感覚から「今」に触れていました。

その「今」に居ると、この身体が地球上にある全体の中の一つのものとして感じ、混じり合っていく絵の具のように融合していく豊かな感じがします。

そして、地球上にある一つのエネルギーが形の違う現れをしていて、それが有機体としてこの場を作っているパーツのような感じがします。

どれもが美しく共存していて、この場を作るのに必要な存在だと感じる事ができる幸せな時間です。

 

会社で仕事をしている時は交感神経がキリキリと活発に働き、呼吸を止めてパソコンを打ち、常に判断をして足早に社内を動き回り、身体を緊張させて呼吸を浅くして感情に触れないようにしている事に気づきます。

時々深呼吸しても、またすぐに浅い息で業務をこなしている私です。

それでも仕事は好きだから、その場にいるんだろうと私は思っているのですが、やはり意識して自分の身体と心を緩めて自分に触れる事をしないと、目の前のストーリーに巻き込まれ続けてしまいます。

時にはストーリーに巻き込まれて、もがいて疲れ果てている時もありますし、時には、人を批判して自分の醜さを突きつけられる時もあります。

 

心にゆとりがあり、ただそこに居れる時と、個人のストーリーに巻き込まれている時、このアンバランスさを感じています。

でも、それすらも「全部が私の表れ」なのかな。と思ったりもしています。

 

非二元からの見方と現実を体験している生活は、悟りを極めた仙人と平民のような差があるように見えるけど、両方があって両方が重なって一つになって「有る」ように思うのです。

 

以前は非二元を理解して、幻想から目覚めると生活が変わり苦しみが無くなるように思っていました。

でも、実はそうではなく苦しみがある生活も許していけるようになるのでは無いかと思うようになってきました。

 

だから、目の前の現実に振り回されて生きている「今」もあるし、少しゆとりを持って感じるスペースがある「今」もある。

そんな暮らしが非二元の考え方を取り入れた生き方のように思うようになってきています。

最近は非二元という言葉の受け止めかたが変わってきた私です。

では、またツラツラと書いていきますね。

またね。

 

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インフィニティーとしてセラピーの活動をしています。

ゲシュタルト療法や表現アートセラピーを使って、あなたの中にある生きる力に触れていきます。

個人セッションやグループセッションをしています。

詳しくはHPをご覧下さい。

 

 

凡人の非二元の探求の始まり

こんにちは。

ブログを読んで頂きありがとうございます。

このブログは自分が辿っている非二元のストーリーや心理学を使って理解する自分個人の内側の感覚などをつらつらと綴っているブログです。

非二元と心理学 …、近いような遠いような、不思議な関係です。

私は心理やセラピーを学んできたのですが、3~4年前に「非二元」や「目覚め」さ「悟り」と言うものに興味を持ち出し、その領域を理解したくて学びが始まりました。

それはなぜかと言うと、心理学で幾つかのセラピーを通して自分を見ていたけれど傷はいつまでも癒えず、過去の体験や自分が握りしめている傷や両親との関係を何度ワークをしても終わらなく、セラピー自体に限界があるように感じたからです。

その後、宗教や思想的な本も読みましたが、答えは見つからず、人間のドラマを超えたところに癒しがあるのではないか。と思えたのです。

 

それは魂の癒しではなく、「魂」と言う、その個別なものも超えたところに真理があり、心理学や宗教を超えた癒しがあると感じていたところに、非二元の話を知ったのです。

 

非二元や悟りの事を語っている人は多く、みなさんがご存知の方々がいらっしゃいます。

どの方も至高体験をして、そこから世界観が変わり多くのことに気づき語ってくれています。もしかしたら、悟りや非二元の理解は至高体験をしないと分からないのかも知れません。

私としても出来る事なら体験してみたいと言う興味はあります。(笑)

 

でも、もしかしたら「非二元のストーリー」や「悟り」や「目覚め」と言うものは至高体験をしていない人でも理解出来るのかも知れません。

(理解するものではないんですけど、感覚が掴むような感じ? 言葉では上手く説明が出来ないので  理解  としておきますね。)

 

誰でも気付ける領域なんだろうなぁと思い、至高体験もない私が心理学や宗教を超えた、そして個を超えた世界を覗き見ようとしている感じがしています。

このブログは、そんな凡人な私の気づきの体験を綴っているようなものになっています。

 

私は普通の会社員で企業で働き、週末はセラピストの活動や学びを行い、そしてそれらの実生活を非二元の視点を学びながら生きていく。

それが、実生活を送っている個人を癒す作業をしているように思います。

 

なんとなく、ふと 今日は自分の在り方を書きたくなりました。

また、ぼちぼちと凡人が辿っている 〈非二元の理解への道〉を綴っていきます。

多分、気付きは蛇行しながら深まったり腑に落ちたりしていくのでしょうね。

そんな私の独り言綴り、これからもよろしくお願いします。

 

 

 

 

中野真作さんのリトリートで変化する味わい方

こんにちは。

先日、また恒例の中野真作さんの東京開催リトリートに参加してきたので、その時の感じた事を書こうと思います。

 

この数回、連続して参加していて「いい加減参加もどうかなぁ」と思うところですが、やっぱり中野温泉のエネルギーに浸かりたくて今回も参加してきました。(^^)

 

回数を重ねるごとに自分の理解が深まっているのか受け止め方が変わってきています。

今までは中野さんの言葉から目覚めるためのヒントを貰おうと言葉を拾って理解をしようとしていました。

でも、今回は中野さんの言葉を拾うのではなく、自分の内側に上がってくる感覚を味わって自分と一緒にいる感じがしていました。

中野さんの言葉に頼らず、自分の感覚への信頼が出来たきたように思います。

 

言葉を聞き流しながら、その場に起こる感覚や事象を味わい自分の身体から沸き起こる事を信頼する。それが今、必要な気づきだと安心している感じです。

 

そこに居ながら感じたのは、

この場で起こっている 〈出来事 〉や 〈考え方 〉や 〈在り方 〉の全てがそのままで在って良くて、良い思いも悪い思いも無くて、ただ存在している状態で、私のこの感覚すらも今ある状態の一部だと言うこと。

そして、その感覚が続いていく、それが今を作っている全ての構成要素なのだという事を深く味わっていたように思います。

 

「感情も考えも自分の内側にあるのではなく外側にあるもの。その事に気付いている」と中野さんが仰られたのを聴いて、その言葉を味わっていると私の感覚は何も無い感じになり、存在だけがある感じで自分の存在が『気づきの意識体』のように感じられました。そして、存在を許されている安心感を味わってました。

 

今まで何度も中野さんの同じ話を聞いてます。でも、言葉を追いかけなくなった時に、身体に沁みわたるように理解が深まり、自分の感覚と絡み合い今までとは違う安心感や理解の深さがあったように思います。

 

また一味違った中野さんのリトリート時間となりました。

 

 

 

 

第3回目の非二元好きな方のお茶会をしました

先日『非二元好きな方のお茶会 3回目』を開催しました。

 

お茶会なので、その日のお集まり頂いた方々の話の流れでどんな話になるのか分かりません。特にテーマも決めず、そこで沸き起こった話がその場に必要なお話しとして流れにお任せする感じで進んでいきます。

 

今回、ご参加頂いた方は至高体験をされた方ばかりでしたので、話の流れは至高体験後の生き方や非二元を自分なりにどのように生活に取り入れているかと云うような流れになりました。

 

お話をしていると「非二元」の視点は人それぞれ受け止め方が違うんだなぁと感じます。

そして、それであっていい感じがします。

その人なりの非二元のストーリーを受け入れて、その視点を持って生き方を作っていく。

 

その生き方が心地よく「今」に存在していることが貴重なのだと思うのです。

その生き方の『今』をシェアをする時間となりました。

 

幻想と言われている目の前に繰り広げられている現象を受け入れ、身体の中で起こっている感覚も受け入れ今を生きる。

切り離された「個」の恐れを感じながらも、大いなる存在の一部である事への信頼とその確信に触れたときに「愛」が溢れ出る感覚。

「愛が溢れ出て堪らない」と教えてくださったのは参加者さんのお言葉です。私はまだその感覚が分からないのですが。(笑)

 

非二元のストーリーは人によって様々な視点があるとも思います。私にとっての視点はストーリーの真実ではなく、在り方の知恵のように思うのです。

そして それが、今生きる心地良さに繋がると思うのです。

 

また、お茶会はやりたいと思っています。

今度はどんなお話が繰り広げられるのか、皆さんと非二元を取り入れた生き方を語り合うのが楽しみです。

 

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インフィニティーとしてカウンセリングやワークショップ活動をしています。

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静かな時間を過ごす

こんにちは。寒くなったり少し日差しが暖かく感じたりの繰り返しですね。

最近、休日は予定を入れずに散歩をしていることが多いです。

私は会社員なので平日はフルタイムで働いていますが、以前は土日になると毎週のようにワークショップを入れていたものでした。

少しでも何かを知りたいとか、自分をもっと探りたいとか自分の中にある傷を癒したいとか、新しい経験をしたい、そんな思いで色んな種類のワークショップに参加していたものでした。

 

でも、最近はワークショップに参加して何かを学ぶよりもゆっくりと自分の内側を感じる時間を作ったほうが大切なように感じて予定もなくブラブラと赴くままに散歩をしている週末が多くなりました。

あんまり考えずに、皮膚から内側の感覚に意識を向けて自分の中で起こっていることに気づいていく一人ワークをしています。

考え事をしている時は考え事をしていることに気づく。気持ちの動きに気づく。身体の感覚に気づく。

考えないワークです。(笑)

 

でも、先日朝起きてその日もスケジュールなく、布団の中でボーとしていたら、その日はミョーに不安が湧いてきたのです。

不安が湧くと言うより、胸の奥がザワザワと疼く感じ。

それは、言葉にすると「何も予定が無くブラブラしているだけでいいのか」と成果を上げていない自分への不安感や、友人と全く関わっていない取り残された不安感だったりしています。

その不安感って不要だと理解しているのに、身体ではザワザワと心地悪さがあるんですよねー。

それらに気付くと、自分が今までそれらの不安から逃げるために沢山のワーク時間で時間を費やして紛らわしていたことに気づかされました。

 

それらの感情は私の個人的なエゴのエネルギーと分かりながら、でもこの体の中で発生してあるエネルギーとして受容していく時間。

まったりと休日の朝に布団の中でまたまた一人ワークです。

今はそんな熟成期間なのだと思って過ごしています。

 

何もせず静かに内側を空けていく大切な時間。ただ流れに乗って満たされていく事を信頼する。

私のワークが変化してきています。

 

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インフィニティーでは非二元好きな方のお茶会をします。

ご興味のある方は是非ご参加ください。

案内はこちら

第3回目 非二元好きの方のお茶会

 

 

 

 

 

 

 

 

思考を外すと見えてきたものは

こんにちは。今年の冬もあと少しの感じがします。梅の花の咲き出して、家の近くの隅田川沿いには赤や白の梅が綺麗です。

先日、また音楽療法のモニターをしたのですが、それが私にとっては貴重な体験となりました。

それは、思考の屁理屈を外して、今ある身体の内側の感覚に意識を向けて感じるままにしておくと、身体の中から自然と自己受容が湧いてくるような体験でした。

その体験は思考では生み出せない安心感で、自己一致した安心感もあり、それが許されている存在の安心感であり、自分という個人の次元を離れているような感じがしています。

 

ブログでこの体験を書こうと思うのですが、言葉にすると薄っぺら言葉になってしまい、上手く書けなくて結局ずっとウズウズしています。

 

この言葉には出来ない体験を通して今、私の感覚に残っているのは、

思考の枠を超えたところに本当の安心や受容があること。

思考から離れた時に、私は個人のストーリーから離れて一つの個性ある存在になること。

思考を外し、抵抗を外した時に次元は変わり、そこにある存在の全てがただ有るものとして受け入れて流れていくという安心感を味わえると言うこと。

今は、その体験をこんな風にしか書けない感じです。

 

探していたものは思考の中にはなかった。

探していたものは思考の枠を外した時に心で感じさせてくれるものでした。

 

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インフィニティーでは『非二元好きな方のお茶会』を行います。

ご興味のある方はこちらをご覧下さい。

第3回目 非二元好きの方のお茶会

 

 

 

 

 

心地いい時間

今日は風もなくて暖かく、気持ちいいお散歩日和です。

自宅の近くには隅田川が流れていて、隅田川沿いをずーと歩くことができます。

その隅田川の堤防をのんびりと歩く休日の時間。

 

最近、平日の仕事も出張が続き、休日も予定がありと慌ただしくしていたから、こんなのんびりとした時間が嬉しく思います。

 

私のお決まりのコースは約6km、川沿いを歩きながら遊んでる家族や野球をしている子供達や景色を見ながらゆっくり歩く。

忙しい毎日は、意識が外側ばかりを見ていて時間を追われてToDo リストを片付けていくような時間を過ごしています。誰かが「時間泥棒にあっている」言ってたなぁ。

 

でも、今日みたいな日に自分に触れることを思い出します。

時間に追われるのでは無くて、時間を味わうことを。

 

今の時間を味わう。時と共にいる。

自分の内側に触れながら、外側にも気付きながら、自分と一緒にいる時間。

なんて、豊かな時間なんだろうと思います。

深呼吸をして、顔を上げて身体の感覚を感じながら自分の内側の空間に触れていく。

 

日常の中でも自分の内側に触れる時間をもっと意識していきたいなぁと思うのです。

 

✴︎✴︎✴︎お知らせ✴︎✴︎✴︎

インフィニティーでは、第3回目の非二元好きの方のお茶会をします。

ご興味のある方は是非お越し下さい。

詳細はこちら

第3回目 非二元好きの方のお茶会

 

魂と魂が触れ合っていく

こんにちは、この週末の三連休に私がやっているゲシュタルト療法のファリシテーター集会があり参加してきました。

 

ゲシュタルト療法は、その人の在りようを信頼してその人がその人らしく生きていく事をサポートしていく療法です。

自分の感覚に気づいていく事をするだけでクライエントは自ら問題解決へと進んでいく事が出来ます。

 

そのファシリテーターの学びの中で、とても貴重なそして豊かな体験をしました。

それは、カウンセラーとしてクライエントに向き合うのではなく、一人の人間として向き合う大切さです。

 

カウンセリングの場では、どうしてもクライエントと向き合うのはカウンセラーとしてだったり、セラピストだったりと癒し手のマインドを持ってしまいがちです。

でも、今回体験したのは癒し手ではなく、一人の人として自分に正直にクライエントと一緒にいる事。クライエントをジャッジせずありのままの在りようを一緒に感じ取り自分の中で起こっている事を正直に伝える事。

クライエントを癒すのではなく、クライエントの内側で起こる事を信頼してその場に一緒にいる事という事でした。

 

ファシリテーターとは癒し手ではなく、カウンセラーでも無く、クライエントが自分の内側に気づいていくことをサポートする人という事です。

 

その事を胸にファシリテーターとしてクライエントに向き合うった時、私は目の前にいる人が真摯に自分に向き合っている姿の美しさに感動して涙が止まりませんでした。

今までも多くの人と向き合ってきましたが、こんな風に感動に震えることは初めての体験です。

私も正直にその場にいて、クライエントも正直にその場にいて自分の感覚に触れていく。お互いが剥き身になって美しい魂となり、その魂のふれあいのように感じたのです。

その静かなる魂と触れ合いの中でクライエントの内側から自然と変化が起こり、自ら新たな方向を見つけ出していきました。

言葉の無い、静かな時間の豊かさ。

 

相手を信じ、自分を信じ、その場を信じる。

その時に共鳴する力。

その魂同士の触れ合いが、サポートになっていく事を体験しました。

 

人は全ての人が自分で生きる力を持っている。自分と起こってくるその場を信頼する。

信頼できない自分が出てきたら、その不安感や脆さも正直に気づいていく。

 

それは、結局 非二元のストーリーの中でも言われている事なんですよね。

全て起こっている事に気付いていく、受け入れていく、脆い自分の感覚を許していく、何も排除するものは無く、全てが在る事気づいていく。そして、その場に居る。

 

その入り口をゲシュタルト療法を使って触れることが出来るんだろうと思います。

愛を持って正直でありたいと思います。